相川七瀬「デビュー曲爆売れ」葛藤を経て得た学び 子育てとキャリアの両立、どう乗り越えたか

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自分でも古い曲だと思った時期ももちろんあります。私には『恋心』など織田さんに作っていただいたヒットソングがほかにもありますが、それらが今も覚えられているのは当たり前のことではなく、ヒット曲に巡り合った自分がとても幸運だったと思うようになったのは30代後半からです。

――「昔売れた曲」と、ネガティブに感じていた時期もあるのですね。何がきっかけで、気持ちが変わったのでしょうか。

26歳で1人目の子ども(長男)を産んだときは、出産後もキャリアを継続している歌手がそんなにいなくて、風当たりの強さを感じました。業界内で「相川は終わったね」と言われているのが自分の耳に入ってくることもありました。子どもが生まれたら何もできないのかなと、20代後半はすごく悩みました。

その後少しずつ、子どもを育てながら仕事でも活躍する女性が増えましたよね。芸能界と音楽業界でもその流れが出てきて、私もバラエティーに呼んでいただくようになりました。自分の役割を考え始めたとき、32歳で2人目の子ども(次男)が生まれました。

次男は幼いころから音楽が好きで、私の歌を聞いたり昔の映像を見たりするのが大好きでした。私は売れていた過去の自分の姿をポジティブに捉えていなかったのですが、次男が私の歌を好んで聞いてくれていたので、それが自分の20代の仕事を客観的に見つめる機会にもなって、私は意外といい仕事していたんだって思えるようになりました。

過去のヒット曲を一生大事にしたい

―― お子さんを通して過去の自分を俯瞰できたのですね。

次男が「僕はこの曲が好き」「ママの歌が聞きたい」と言ってくれたのが大きな後押しになって、私は音楽をもう一度真剣にやりたいと思いました。同時に、もらえる仕事は精一杯頑張ろうと考えるようになりました。

歌手としてのキャリアが20年に差し掛かろうとした時期でもあり、過去のヒット曲を一生大事にしていきたいという気持ちも大きくなりました。そこからは『夢見る少女じゃいられない』を歌うことにも「古い曲」ではなく「一番盛り上がる曲」として自分が楽しめるようになったのです。

今も新曲を出していますが、お客さんが求める曲をその場で歌って楽しんでもらうのが、ミュージシャンの自分がやるべきことだと気づき、私自身それに応えることが心地がいいんです。

デビュー曲であろうと、新曲であろうと、皆さんに楽しんでもらえることが音楽の基本だと、30代後半から思えるようになりました。

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