相川七瀬「デビュー曲爆売れ」葛藤を経て得た学び 子育てとキャリアの両立、どう乗り越えたか

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―― 相川さんのデビュー時代をリアルタイムで知らない世代も、曲は知っています。

昔の歌を歌って皆さん懐かしいと思ってくれることも嬉しいです。今私は大学に通っていて、同級生や下級生が私の歌を知っていると声をかけてくれるんです。

彼らにとっては生まれる前の曲ですが、親御さんが聴いていた人もいれば、自分たちがブラスバンドで演奏していた人もいて。長く続けてきたからこそこういう言葉に巡り合えて、私は自分の30年間のキャリアをいっそう肯定できるようになりました。

長くやってきたからこそ、わかること、会えるものがある。30代後半から1つひとつが先につながる大事なものだと感じられるようになりました。

相川七瀬(あいかわななせ)/歌手・1975年大阪府出身。シングル「夢見る少女じゃいられない」でデビュー。2001年に結婚し、同年長男を出産。2007年には次男、2012年には長女を出産する。2018年に高卒認定試験に合格し、2020年に國學院大學神道文化学部に入学。直近ではハイセンスプロジェクトリーダーを務める(撮影:編集部)

―― 今は女性が結婚・出産後に仕事を続けるのが一般的になり、男女ともにワークライフバランスを模索する時代になりました。相川さんはどうでしょうか。

20代後半で出産しましたが、当時は自分が積んできた歌手のキャリアと、子どもを育てる母親という職業が、自分の中ですり合わなかったのです。キャリアを続けたいけれど、母親でもあるし、という気持ちで。

仕事はもういいかな…と思った時期も

「相川さん今休んでるの?」と聞かれて悩むこともあったし、30歳になったころは、仕事はもういいかなと思うこともありました。事実、ライブのみの活動で、開店休業に近かった時期もありました。

でも子どもが2人になって、3人になって、私は子どもの母親であることが楽しいな、母親業が好きだなと感じるようになりました。今は子どもを育てることをいちばんの仕事として、できる範囲で自分の仕事をやっていこうと考え方を変えたら、軸がぶれなくなってとても楽になりました。

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