鴎外にとって、海外文学の翻訳は、ライフワークの1つだった。当時の日本人として例外的にドイツ語がものすごくできた鴎外は、「ドイツ語でしか翻訳されていない北欧の文学」も日本語に翻訳した。
例えばアンデルセンの『即興詩人』、劇作家イプセンの『人形の家』などを明治の日本に持ち込んだのは鴎外なのだが、どちらも元々ドイツ語に翻訳されたものを読んでいたらしい。
もちろんドイツ文学も訳しており、大きな仕事としてはゲーテの『ファウスト』翻訳がある。実はこの『ファウスト』翻訳、牧野富太郎が関わっているのだという! これについて、鴎外が実際にエッセイにつづっている。
佐佐木信綱、牧野富太郎をぜいたくに活用
佐佐木信綱は『万葉集』の研究で有名な国文学者なのだが、実は鴎外が翻訳の下読みをさせていたことが判明(すごく著名な国文学者を、翻訳のお手伝いに使わせるの、なんたるぜいたく……とここだけでも愕然とする)。そして鴎外は、ドイツ語の花の名前がよくわからなかったので、牧野富太郎に問い合わせた。
牧野富太郎を植物辞典代わりにする森鴎外。ぜいたくすぎやしないか。しかしそれが気軽にできるくらい、2人の間には親交があったのだろう。ちなみに「日本にはない花だった」というオチで、富太郎の植物知識がいかんなく発揮されたことがよくわかる。
ドイツ文学だけでなく、漢文を訳すときも、またしても森鴎外は牧野富太郎に「この植物がわからん、教えて!!」とアドバイスを求めている。「漢詩にこんな樹木が登場しているのだが、結局どの樹のことを言っているんだ?」と富太郎に教えを請うていたらしい。
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