東大医卒・森鴎外の「舞姫」背景知ると衝撃的な中身 神童エピソード多数、超エリートの小説ににじむ葛藤

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森鴎外旧宅
島根県にある森鴎外の旧宅(写真:papa88/PIXTA)
学校の授業では教えてもらえない名著の面白さに迫る連載『明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」』(毎週木曜日配信)の第30回は、文豪・森鴎外の代表作「舞姫」について解説します。
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小さいころからオランダ語も漢文もできた森鴎外

突然だが、日本の文豪でもっとも頭のいい人間は誰だろうか。現代の小説家にも現役弁護士、現役医者や東大卒はいるけれど、昔の小説家は今にも増してエリートが多かった。

さて、そんな優秀な頭脳ぞろいの文豪のなかでも、森鴎外はかなり賢いほうだった。彼の学歴は東京大学医学部卒である。

というのも、現・島根県であるところの、津和野藩の典医の家に生まれた鴎外は、小さいころからオランダ語もできるし、漢文も読めるスーパー児童だったらしい。四書五経(『論語』や『孟子』や『春秋』などの中国の古典)を丸暗記していたという逸話まで残っている。賢すぎである。

そんな賢さを見越してか、父親は鴎外が10歳のときにふたりで上京する。そして父親の目論見どおり11歳で鴎外は東京医学校予科に合格する。ちなみにこの東京医学校予科というのは、東大医学部の予備教育課程というもの。鴎外が受けた試験は、今でいう私立の中高大一貫校の中学校受験のようなものだろうか。

だが恐ろしいのはこの予備課程から本科に上がるとき(つまり今でいうと高校から大学に上がるとき)、人数が絞られてしまうため、結局試験を頑張らなくてはいけなかったらしい。恐ろしい。まだ大学の制度が定まっていなかったころの話だ。

ちなみに鴎外は予科に入る際、どうやら13歳で受けるべき試験を、なんと11歳で合格したと言われている。神童すぎる。

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