「斜陽」のころに大きな転換点を迎えた太宰治
川端康成への「俺の価値をあなたはわかっているんだろ!」という猛烈に思い込みの激しいラブレターを公開して始まった、太宰治の作家人生。彼は戦中も人気のある文豪ではあったが、ベストセラー作家となるのは戦後のことである。具体的に言うと、『斜陽』を発表し「斜陽族」という言葉が流行した時期、彼の作家人生は大きく転換点を迎える。
売れっ子になった若手作家(と言っても太宰ももう40代目前なのだが)を、文壇はどのように見つめていたのか。同人雑誌の『文学行動』(復刊第2号、1948年)において、志賀直哉は太宰のことをこう語っている。
「年の若い人には好いだろうが僕は嫌いだ。とぼけて居るね。あのポーズが好きになれない」
志賀直哉はどうやら太宰のことがかなり嫌いだったらしく、ほかにも彼の作品を強く批判している。
ちなみにこのとき、志賀と対談しているのは、なんとあのあこがれの川端康成。川端もまた「『斜陽』を読みましたけれど、別に新しいとか、これまでの人には書けない、というような感じはありませんね」と志賀に同調している。
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