志賀直哉の批判に激怒、太宰治の反論に共感する訳 日本人の家族信仰になじめない人へのエール

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この対談を読んだ太宰は、おそらくものすごいショックを受けたのだろう。志賀直哉の批判を読んだらしい太宰は、同年1948年に『如是我聞』という随筆を発表している。太宰の小説論……から始まって、文章はある「老大家」への文句へ至る。

何も、知らないのである。わからないのである。優しさということさえ、わからないのである。つまり、私たちの先輩という者は、私たちが先輩をいたわり、かつ理解しようと一生懸命に努めているその半分いや四分の一でも、後輩の苦しさについて考えてみたことがあるだろうか、ということを私は抗議したいのである。

或る「老大家」は、私の作品をとぼけていていやだと言っているそうだが、その「老大家」の作品は、何だ。正直を誇っているのか。何を誇っているのか。(『如是我聞』(一)、引用は『もの思う葦』新潮文庫より)

めちゃくちゃ怒っとるがな、という印象しかない。志賀のことを名前は伏せているが、「とぼけていていやだと言っているそうだが」と書いているあたり、志賀と徹底抗戦しようという心意気だけが見える。

しかし抗議文であってもさすがは太宰。私は「私たちの先輩という者は、私たちが先輩をいたわり、かつ理解しようと一生懸命に努めているその半分いや四分の一でも、後輩の苦しさについて考えてみたことがあるだろうか」という文章ほど業界の後輩の苦しみを表現した名文ってほかにないよな……と感じている。後輩はいつだって先輩を理解しようとしているのだ。先輩は平気で後輩をけなしてくるものだが……。

正面から売られたケンカを買った太宰

ちなみにこの随筆『如是我聞』の最後の部分においては、結局「老大家」などとぼかすのをやめて、「志賀直哉」と書いてしまっている。

おいおい、名前出すのかよ、と読者としては苦笑してしまう。気が短いな、太宰! と思いながら読むと、これがもう太宰のほうからケンカを売るような文面で終わっているのだ。

志賀直哉というのが、妙に私の悪口を言っていたので、さすがにむっとなり、この雑誌の先月号の小論に、附記みたいにして、こちらも大いに口汚なく言い返してやったが、あれだけではまだ自分も言い足りないような気がしていた。いったい、あれは、何だってあんなにえばったものの言い方をしているのか。
普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。(中略)
貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴(やっこ)の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。(『如是我聞』(四))

志賀直哉の小説はえばりすぎている、というのは、えばった男性性がなにより嫌いだった彼からすると当然の感想なのだろう。

そして志賀からしても、やはり太宰は「なんだあのナヨナヨしたやつは」という感想になるだろうし、読者としては「そりゃ志賀と太宰は気が合わないだろうよ!」と思わざるをえない。しかし正面切って売られたケンカを太宰は買いすぎている。

次ページ太宰の文章は後輩としての抗議にとどまらない
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