マッチョな男性性を嫌い、家族を大切にする父親であることに違和感を覚え続けた太宰治は、父への遺恨と母への憧憬を『人間失格』に描いた。だからこそ、家庭を盾にえばっている同業者が、きっと彼は許せなかったのだろう。
太宰はこの随筆を書いた後、自ら命を絶つ。
人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。
ためになる。
それが何だ。おいしいものを、所謂「ために」ならなくても、味わなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。おいしいものは、味わなければいけない。味うべきである。(『如是我聞』(一))
役にたたなくても、人生は、おいしいものを食べなければいけない。そして自分は、おいしい小説を書くのだ。――そう言い残した太宰治の信念は、きっと今の日本でも、たくさんの「家庭信仰」になじめない人々をそっと励まし続けている。
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