結局、「太宰などお殺せなさいますの?」なんて書いた後、太宰は自ら命を絶ってしまうのだった。
しかし太宰の文章は、後輩としての抗議にとどまっていない。『如是我聞』の中で、太宰は「老大家」(つまりは志賀直哉)たちに見る、「家庭」というものが与える「自信」について書いているのだ。その文章が太宰の価値観そのものをよく表現しているので、最後に引用してみよう。
太宰は「家庭を大事にすること」は、世の中のマジョリティにとっての神なのだが、そんなのはエゴイズムでしかない、と看破する。そう、つまりは「家庭」というものが、日本の人々に絶対的な正義として君臨していることを、ここで指摘しているのだ。
太宰が随筆の中で抗議したこと
太宰は確かに、女たらしで、妻に苦労をかけていた。家庭の苦労を、妻に負わせていた。それは批判されるべき行為ではある。だが、太宰は随筆の中で抗議する。日本人が、家族というものを神とあがめるのは、本当に正しいのだろうか? と。
日本人の家族信仰とは、何なのだろうか? と太宰は問う。それは彼自身の小説のテーマであり、そしてそれは『人間失格』をはじめとする晩年の小説にも通じてゆく。
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