「奨学金240万円」34歳彼女が選んだ仕事と結婚 大学ではなく専門学校に進んだ理由とその結果

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一方で高校卒業後、すぐに就職するのではなく、専門学校に進むという選択肢には母親の強い勧めがあった。

「母は農家の出身で、非常にお金に苦労しながら、大学まで進学しました。卒業後は地元の企業に就職しましたが、父との結婚を機にパート勤めになりました。本当は専業主婦として生きることを理想としていましたが、父の収入でそれは難しいことなので、わたしたち娘には『女の子だとしても、自立して働くのよ』と、言い聞かせていました」

第二種奨学金(有利子)を2年間で240万円借りた

こうして、弓木さんは第二種奨学金(有利子)を毎月10万円、2年間で240万円借り、2年後に進学した妹も同じく第二種を月5万円、3年間で180万円借りた。

「もともと、高校卒業まで吹奏楽部だったので、当初は楽器のリペアマンになりたかったのですが、身体的要件で音楽の専門学校の受験に失敗してしまいます。でも、大学進学したいわけでもなかったため、これからの食いぶちをどうしようか悩んでいたところ、当時はやりだしていたITであれば、食いっぱぐれないだろうと思ったんです」

しかし、いざ入学してみると、非常にのんびりとした勉強環境に焦りを覚えた。

「簿記やITが主なのですが、たまにカルチャースクールみたいな講義もあり、『このままでは就活で負ける……』と思ってしまったんですね。都心に生まれ育って専門学校に通っている学生の中には、『バイトでもいいんだけど、専門学校には友達作りに来たよ』みたいなテンションの子も少なくないんですよ。そもそも、東京や埼玉に実家がある人は裕福なので、金銭感覚がわたしと大違いですしね(笑)。『この空気感に負けてはいけない!』と、強く思っていました」

モラトリアム期間を謳歌しに来た学生の中で、アルバイトにも精を出した弓木さん。学費と家賃は両親が出してくれたが、生活費に使う予定だった奨学金を、語学の勉強に回したためだった。

「宅急便のコールセンターで週に2〜3回、1日5時間くらい働き、毎月5万円稼いでいました。学校と家の中間地点にバイト先があったので、学校が終わったら、夕方にバイトして帰るという一直線で完結する生活を送っていました」

しかし、学校を卒業する直前にリーマンショックが訪れる。

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