高校時代はゲームを中心に回っていった。
鉄拳6BRのプレイヤーは獲得したポイントによってランクが付けられる。勝つとポイントを得られるが、自分よりずっとレベルが低い相手に勝ってもポイントはもらえない。ほぼ同段位の人と対戦して勝利してポイントを得ていくのがセオリーだった。
「何日に●●のランク帯が行くんでよかったら対戦してください」
とネット掲示板に書き込み、ゲームセンターで集まって対戦をするという文化が生まれていた。
“遠征”して地元の人たちと親交を深めた
「よその地域のゲームセンターに行って対戦する“遠征”っていう文化がありました。
県外に行くときはゲームセンターで会ったおもろいおっちゃんにお願いして、自動車に乗せていってもらったりしました。珍しい女子高生だったと思います(笑)。高校生活ではまず出会えないいろいろな大人と出会えるのもゲーセン通いの楽しみの1つでした。
香川には大きいゲームセンターがあってよく行きました。もっと遠くへ行けるときは、大阪や神戸まで足を運びました。当時、大阪が結構強くて、聖地って呼ばれるゲームセンターが梅田にあって盛り上がっていました。
修学旅行で北海道に行ったときは、自由時間に北海道のゲームセンターに足を運んで地元の人たちと親交を深めました」
戦い終わった後は、みんな仲良くなった。ファミリーレストランで情報交換をしながら朝までしゃべった。
「今はネット環境が発達して、地方に遠征する文化はほぼなくなりました。家や地元のゲームセンターにいながらにして、さまざまな地域の人と戦えるようになったのは便利ですけど、少しさみしいですね。
私は、当時そこまで強くなかったんですよ。でも負けん気だけはすごくて、成長速度はいちばん速かったですね。とにかく負けて悔しいのが嫌なので。対戦ゲームにおいて、負けん気の強さがいちばん重要だと思います。『楽しめたらいい』って人は強くならないですね。『絶対に殺す!!』って気持ちが強い人ほど、性格の悪い人ほど、強くなれると思います」
たぬかなさんはゲームに明け暮れたまま、高校を卒業した。
総合建設業の会社の設計科に就職した。
たまたまだが、高校時代に通い詰めたゲームセンターの近くにある会社だった。
「3Dキャドを使って設計するのがメインの仕事でした。女性が少ない会社だったので、営業のサポートもしました。営業の人が話し合いをしている間、お子さんの面倒を見たりすることもありました。下っ端だったんで、いろいろとさせられてました」
仕事自体は楽しかった。ただ、かなりブラックな労働環境だった。
「給料は安くて、拘束時間は長くて。残業代は1時間150円しか出ませんでした。それにセクハラみたいのもすごくあって……」
会社で働いていると、見た目の悪い40代くらいの男性をあてがわれた。皆に
「付き合っちゃいなよ」
と冷やかされた。たぬかなさんは
「彼氏がいるので……」
と断ったが、そんなことは関係なく、肩を抱かれたり、口説かれたり、延々とちょっかいをかけられ続けた。
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