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「170以下は人権ない」で大炎上した彼女の現在 プロゲーマー→配信者「たぬかな」の波乱の人生

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  • 村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
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たぬかなさんは徳島県に生まれた。

「父がゲーム好きで、家にずっとゲームがありました。父親がゲームをしているのをいつも見てたし、3人きょうだいの真ん中だったので、兄や弟と一緒にゲームをすることも多かったです。格闘ゲームは父親がやってた『スト2ターボ』(ストリートファイター2ターボ)をガチャガチャと遊んでたくらいでした。『スマブラ』(大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ)とか『ファイナルファンタジー』とか王道のゲームをプレイしてましたね。

中学校のときに『マイホームをつくろう!』というゲームに出会いました」

『マイホームをつくろう!』はプレイステーション2のゲームソフトだ。

タイトルどおり、部屋を分割し、壁紙を貼ったり、さまざまな家具を並べたりして、自由にマイホームを作っていく。そして作った後は、家の内外を歩いたり、眺めることができる。

ゲームというよりはキャド(設計支援ツール)に近いソフトだ。

当時は珍しい、格闘ゲームをする女子高生

「このゲームにハマったのと、建築士だった祖父に対する憧れもあって、建築科の高校に進学しました。

昔から成績はよくて、あまり勉強しなくても学校の成績は保っていられました。学校ではほとんど寝てたし、授業中抜け出してどっかに行ったりすることもありました。不良じゃなかったんですけど、不真面目ではありましたね。当時の、友達からはすごいとがっていたって言われます。でも自分ではあんまり覚えていないんですよ。当時はゲームのことしか考えてなかったので」

建築科の高校は圧倒的に男子が多かった。学校帰りに、男子たちと一緒にゲームセンターに遊びに行った。

そこで格闘ゲーム『鉄拳6 BLOODLINE REBELLION』に出会った。当時の格闘ゲームは対面に座った者同士が戦うシステムだった。

ストリートファイター2から始まった格闘ゲームブームは落ち着いていたとは言え、まだまだ残り火は熱く燃えていた。多くの人が、ゲームセンターに集まり、しのぎを削って戦っていた。

「仲良い男子の間で格闘ゲームがはやっていたので『教えてよ』って入っていったのがはじまりでした。そこから、めちゃくちゃハマっちゃったんですね」

たぬかなさんの高校から自転車で15分ほどのところにゲームセンターはあった。だがそのゲームセンターは1ゲーム100円だった。

自転車を45分走らせた場所にあるゲームセンターは1ゲーム50円だった。たぬかなさんは、必死に自転車をこいで安いゲームセンターに走った。

「ゲーム代はアルバイトして稼いでました。当時は家庭が荒れてて、貧乏だったんで、父に『自動車の教習所代や車代とかは、自分で稼いで貯めておけよ』って言われてて。それで週3~4日くらい焼肉屋とコンビニとガストでバイトしてました。貯金しつつ、残ったお金は全部ゲームにつぎ込んでました。

バイト以外の日はゲームセンターに行ってました。門限が8時だったので1日、2時間くらいしかゲームできませんでした。席が埋まってると『早く終わらんかな!!』ってイライラしてました。休みの日は1日中ゲームセンターにいましたね。体力がある高校生だからできていたんであって、今だったら絶対に無理ですね(笑)。

当時は女子高生3人組で、ゲームをしていました。女子高生が格闘ゲームしてるって超珍しかったんで、地元ではちょっと有名でした。その2人とはいまだに会って、ご飯とかしますね」

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