「いちばん腹が立ったのは、椅子に座ろうとしたときに、椅子を引かれたんですよ。それでお尻からドンと落ちちゃって。それ、めちゃ危ないじゃないですか? お尻にアザができて。
『これって労災おりるんですか?』
って上司に聞いたら、
『労災おろしてほしいんだったら、ちゃんとお尻の怪我の写真撮ってきて見せてよ』
って気持ち悪いこと言われました」
仕事が終わった夜の11時頃、ゲームセンターに行って1時間だけプレイをした。
自動車で帰ろうと思ったが、自動車に乗り込んだら帰る気力がなくなった。朝まで自動車で寝て、そのまま出勤した。
「就職して1年くらい経った頃、ちょくちょく失禁するようになりました。当時は恥ずかしいって気持ちもなくなってました。髪の毛が全体的にごっそり抜けて、お年寄りみたいなハゲ方になってました。まだ19歳でしたけど、私の人生でいちばん老けていた時代だと思います。
おしっこ漏らしながら家に帰って、お母さんの顔見たら、号泣してしまって……。
『もう、じゃあ、あんた病院に行きな』
って、お母さんに言われて病院に行ったら、うつって診断されました」
ホワイトな職場に勤務、金銭的・肉体的に余裕ができた
うつの診断を受け、たぬかなさんは退社した。その会社はブラックな体質だったせいか、たぬかなさんが退社した後、すぐに倒産したという。
「親が結構厳しくて、フリーター生活を許してくれなかったんですよ。でもさすがに退社後は本当にしんどかったから、少しのあいだだけフリーターをしていました」
ラーメン店、喫茶店、パチンコ店をかけもちでアルバイトをした。
その後、喫茶店で準社員として働きつつ、ユニクロで働き始めた。
「ユニクロから正社員のお誘いがあって、受けました。ユニクロはブラックだとたたかれた直後だったこともあって、すごくホワイトでした。ユニクロではじめて特休(特別休暇)とか有休(有給休暇)の存在を知りました。
こんなにお休みもらっていいの!! って感じでした。それにボーナスも初めてもらって、すばらしい!! ってなりましたね。
私は裾上げを担当していました。社内のテストを受けて、昇格昇給しました。私は要領よく“手を抜く”のがうまいんです。夜中に働ける女性が不足していたこともあって、会社には重宝されていたと思います」
金銭的にも肉体的にも余裕ができ、再びゲームセンターに通う日々がはじまった。高校時代とは違いマイカーがあったので、休日には自由に大阪などに遠征した。
たぬかなさんの活躍を耳にしたバンダイナムコゲームスからの依頼で、台湾のゲームイベントに顔を出す機会もあった。
ギャラは出ないが、渡航費用などはすべてゲーム会社が持つ、いわばセミプロのような仕事だった。
「ゲーマーとしては、この頃がいちばん充実してました。大阪もすごく好きで、
『心斎橋すごい!! こんな夜遅くてもめっちゃお店開いてる!!』
みたいな。田舎もんなんで、すごい楽しかったですね」
そんな折、新規に立ち上げられるプロeスポーツチームが広告を出した。
『鉄拳1名募集』
ちょうど、世の中にプロゲーマーが現れ始めた頃だった。
「『これは受けてみるか!』と思いました。
面接があって、実際にオンラインで対戦しているところを見せたりしました。当時はすごい高いランク帯にいたし、セミプロ経験もありましたし『当然受かるだろう』と思っていたら、やっぱり受かったって感じでしたね」
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