「お寺の中核は法事と祈願」と思い込む人の盲点 二大事業が重視されるようになった歴史的経緯

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釈迦のもとには優秀な弟子たちが集まっていたため、仏教の教えそのものが衰退することはなかったが、その解釈をめぐって弟子たちの間で論争が勃発した。そのなかで最大勢力となったのが「説一切有部(せついっさいうぶ)」と呼ばれる部派で、悟りを開き仏になるためのハードルを高め、出家者のみにその資格があるとみなした。すなわち、参入障壁を設けて教団を専門家集団としたのである。

この戦略は仏教の権威を高めはするが、信者が減るという弊害をもたらしたため、それに反対する新興勢力を生むこととなった。その新しい教えは、出家者だけではなく一般の人たち(衆生)も救いの対象とするもので、仏を目指すための大きな乗り物を用意するという意味から「大乗仏教」と称される。

ただ、衆生は実社会で生活しており、出家者のように経済活動を放棄して読書や瞑想に明け暮れるわけにはいかない。そこで考え出されたのが衆生でもできる解脱の方法である。それは、以下の3つに大別される。

①坐禅を通じて仏心があることを仏に認めてもらう方法
②経典の力によって仏の世界に飛び込む方法
③仏を念じて仏の候補生になる方法

いずれの場合も、カリスマである仏の存在を前提としていることから祈りの要素を含んでいる。

このうち②は、経典の内容に通じた専門家や仏の世界をイメージできる特別な場所を必要とすることから、そこに僧侶の集まりである教団のビジネスチャンスが生まれてくる。他方、①と③は作法に従って実践すればよいだけなので、時と場所に縛られることはない。

したがって、①と③が教団として生き残るには、何らかの専門性を有する祈りの作法を取り入れる必要がある。そこで目をつけたのが人間の死を扱う葬式である。

なぜ仏式葬儀が広まったのか

仏式の葬儀や法事の源流をたどると、平安時代の僧侶・源信が著した『往生要集』まで遡る。同書は、死後、仏になれなかった人間がさまよう穢れた世界と仏が住む極楽の世界を説明し、極楽に生まれ変わるための作法と修行を解説したものである。

その内容は、没後10人の王から、7日ごとに四十九日までの7回と、百箇日、一周忌そして三回忌を加えた計10回の裁きを受け、来世の行き先が決まるというものだ。

源信は、地獄での拷問の内容を詳細に描写したうえで、地獄に行きたくなければ、臨終に際し皆で念仏して死者の生前の罪を清める必要があると説いた。これは、「極楽に行かれますように」という祈りに他ならない。

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