「お寺の中核は法事と祈願」と思い込む人の盲点 二大事業が重視されるようになった歴史的経緯

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仏教開祖の釈迦は、インド釈迦国の王子として誕生した。恵まれた環境で育ったが、29歳のとき「老病死」の苦しみを知ったことで妻子を捨てて出家し、苦しみから解脱する方法を探し始めたとされる。坐禅、瞑想、苦行、断食などさまざまな方法を試した結果、たどり着いた結論は「こだわりを捨てる」というものだった。

老病死の苦しみは、快楽を追求しても、我が身を困難な状況においても消えることはない。その理由は、「○○をやりたい」とか「○○でなければならない」という煩悩が存在しているからである。この煩悩を消し去るには、世の中に存在するすべてのものは一時的に見えているものに過ぎず、いずれ消えてなくなる運命にあるという「無常」の概念を理解するしかない。これが釈迦の教えの基本である。

宗教評論家のひろさちやは、これを以下の簡単な数式で表現している。

  幸せ=充足/欲望

人間なら誰しも何らかの欲望を持って生きている。それは、食欲や性欲といった本能的な欲求から、リッチになりたい、健康に暮らしたい、賢くなりたい、など様々だ。そして、欲望が満たされれば幸福感を得ることができる。だが、悲しいことに人間の欲望には限りがない。ひとつの欲望が満たされても、すぐに次の欲望が生まれ、それが満たされなければ幸福度は下がってしまう。この欲望と充足の無限ループこそが釈迦のいう煩悩だ。

この数式が理解できれば、煩悩から解脱するための方法も簡単に見つかるだろう。つまり、「○○でなければならない」というこだわりを捨てればいいのだ。そうすれば欲望は拡大せず、結果として幸福度は下がらない。仏教ではこれを「少欲知足」と呼ぶ。釈迦がたどり着いた悟りは、「信じれば救われる」といった宗教的な意味合いよりも、時代を超えすべての人に通じる人生哲学に近いことがわかる。

なぜ仏教が祈りと葬儀に関わるようになったのか

どのような宗教も信者が存在することによって成立する。信者を継続して確保するためには、開祖の説法や書き記したものを体系化し、カリスマ性が毀損されないようにすることが重要だ。つまり遺された弟子たちの行動がその後の命運を分けることになる。

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