私たちはなぜ祈るのか?
「祈り」は私たちにとってとても身近な活動である。初詣や葬儀では神仏の前で手を合わせる。また、合格祈願や健康祈願で絵馬を掛けたり、祈願札や縁起物の熊手を飾ったりする。
にもかかわらず、なぜ祈るのかその理由を尋ねられると明確な答えは返ってこない。「そうするのが習慣だから」とか「願いをかなえたいから」といった感じなのだ。すべてを合理的に説明したがる経済学者としては、到底納得できる答えではない。
なぜなら、成果が得られるかどうか科学的な根拠の見えにくい祈りに時間とカネを費やすならば、確実に成果が期待できる行動にそれを振り向けたほうが得策と思えるからだ。すなわち、合格祈願や健康祈願をするのではなく、勉学やヘルスケアに励むべきだろう。
ところが、これだけ科学が進歩した現代社会に暮らしていながら、私たちが祈りをやめることはない。そうだとしたら、経済的な合理性以外にその原因を求めなければならない。そこで役に立つのが心理学と経済学の融合として近年認知度が高まっている行動経済学の考え方である。



















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