「宗教」「信仰」というキーワードが、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題をきっかけに改めて世間の興味を引いている。しかし、それは多くの場合、特定の宗教を信じている信者としての立場というより、どちらかといえば「無宗教」という立場からではないかと思われる。
なぜなら、日本人の7割以上が信仰や信心を持っていないと公言しているからだ(統計数理研究所「国民性調査」2013年)。2018年に行われた調査では、「何らかの宗教を信仰している」(冠婚葬祭時だけの宗教を除く)が36%、「信仰している宗教はない」が 62%という結果も出ている(NHK放送文化研究所「ISSP国際比較調査」2019年)。
確かに「日本人は無宗教である」というフレーズをよく耳にする。アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、日本は人口に占める「無宗教」の割合が高い、世界でも有数の国とされる。
「無宗教」とは一体なんなのか
だが、この「無宗教」というカテゴリーが曲者で、実はここには「何らかの精神的な信仰を持つ者」が多数含まれている。それは、既成の宗教などとは無関係な信仰であり、日本では民間信仰、民俗宗教などといった呼ばれ方をしてきたものだ。21世紀に入ってから、「SBNR」(Spiritual But Not Religiousの略で、「無宗教型スピリチュアル層」のこと)という新語も登場し、拡大する「無宗教」層の実態把握の動きも進んでいる。
では、一体「無宗教」とは何なのか。時に、特定の宗教にハマる人々を揶揄(やゆ)したり、幽霊は科学的ではないと批判したりする人々が「無宗教」を主張していたりする。けれども、そんな人々であっても、人生の重大事において神社で願い事をしたり、占いを信じたり、験(げん)を担いだり、悪いことをしたらバチが当たると考えたりといった心性と同居していることが少なくない。
これは恐らく、わたしたちが「宗教」という定義を狭く捉えてしまっているせいだ。そのため、安易に自分たちを「無宗教」というカテゴリーに分類して、「宗教」から何の影響も受けていないというような無自覚な意識を作り出してしまっている。
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