前述した通り、「自然宗教」は教祖も経典も教団もない宗教だが、これらは年中行事を繰り返すことで、生活に強弱を付け、心の平安を確保していた。そのため、「とりたてて特別の教義、つまり『創唱宗教』を選択する必要はなかった」と結論づけている。「ここに『創唱宗教』という意味での宗教には無関心で、『無宗教』を標榜してなんら疑わない理由がある」(以上、前掲書)という。
宗教がその国の慣習、文化に溶け込み、生活の中に定着すると、ことさら宗教ととらえ直す契機が失われるからである。この無意識化こそがかえって強力な宗教として水面下で機能していることの表れであるともいえ、「宗教」と聞けば「創唱宗教」を思い浮かべがちになっている社会背景だと分析している。
このような「宗教」のカテゴリーに対する認識は、おおむね明治以降に出現している。
「神道の国教化」という難題
それが制度として先鋭化したのが、当時の国家による「神道の国教化」政策であった。いわゆる岩倉使節団が欧米諸国訪問で、キリシタン弾圧を激しく批判され、信教の自由を承認せざるをえなくなった後、天皇の支配者としての正当性を築くための神道の国教化という難題にぶち当たった。
紆余曲折を経て、編み出された苦肉の策が、「神道非宗教説」である。神道を国家の祭祀を担う神社神道と、布教・教化を担う教派神道に分けることで、前者を「非宗教」、後者を「宗教」と位置づけ直したのであった。歴史学者の安丸良夫によると、これにより「皇祖・皇統や国家に功績あった人々、また祖先への崇敬」といった「国家的神々の受容と信教の自由とは矛盾しないのだとする」(『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』岩波書店)ロジックが完成したのである。
阿満の「創唱宗教」「自然宗教」の区分に従えば、神道はもともと「自然宗教」だが、様々な時代において仏教や儒教などの「創唱宗教」の教義を取り込んでいる。さらに厳密にいえば、仏教には祖霊信仰という「自然宗教」が含まれてもいる。明治維新後のおよそ80年もの間、神社神道は、安丸のいう「国家的神々」を崇拝する場として機能し、「宗教ではないが、礼拝の対象」となり、人々の慣習として少しずつ浸透していった。
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