4月20日は「珈琲牛乳の日」国内初の発売は100年前 平塚で生まれ、最初は銭湯ではなく「駅弁の友」

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守山氏は飲んだ瞬間「ウッ、苦い」とうなった。そこで住田氏は「アメリカではコーヒーにクリームを入れて飲むこともある」と教えたという。

自宅にコーヒーを持ち帰った守山氏は、クリームの代わりに牛乳を加えて試飲を繰り返したところ、コーヒーと牛乳を1対1の割合で入れると、ほどよくマッチ。さらにヨ子(よね)夫人の提案で砂糖を加えたところ「美味い」と感じたので、製品化を決意した。

しかし、牛乳は1日しか日持ちがしない。そこで守山氏は、医者だった弟の英雄氏に相談。注射器の煮沸消毒法が応用できるのではと助言され、煮沸消毒をすることに。それで、1週間ほど日持ちするようになった。

1923年4月20日、国府津駅で発売

完成したコーヒー牛乳は縦長の瓶に詰められ、王冠で栓をされた。守山氏はその新製品を東海道線国府津駅で営業をしていた弁当店・東華軒に持ち込み、1923年4月20日に同駅にて発売した。上等弁当が1箱35銭で売られていた時代に、コーヒー牛乳は20銭とかなり高額。にもかかわらず飛ぶように売れたそうで、販路がどんどん拡大していった。

初期の守山珈琲牛乳(写真提供:守山乳業)

守山氏は『守山乳業株式会社四十年史』にこう記している。

〈国府津の飯沼さん(東華軒店主)の身の入れ方はたいしたもので、東海道の弁当屋さんに電話をかけてくれ、西は山北、御殿場、三島、東は横浜、品川、新宿、大宮、高崎、宇都宮と次々に紹介を頂き、いくら造っても、次から次へと紹介され、需要の大きな事は燎原の火の如き発展振りであった〉

あくまで車内で飲むことを前提にしていたので、瓶のラベルには「空瓶を車窓外に投げ棄てることは危険ですから腰掛の下にお置きくださるか又はお持ち帰り下さい」という注意書きが記されていた。

初期の森山珈琲牛乳のラベル(写真提供:守山乳業)

その後、コーヒー牛乳が家庭でも愛飲されるようになるまでには、40年ほどの時を要した。

1950年代後半に、大手メーカーがコーヒー牛乳の生産を開始するようになった。さらに高度経済成長期、冷蔵庫が各家庭に普及するようになると、乳飲料メーカーが牛乳の宅配サービスにこぞって力を入れ始めた。そのおかげで、コーヒー牛乳も家庭で楽しむ時代が到来したわけだ。

しかし大手参入のあおりを受けたということだろうか、守山乳業のコーヒー牛乳は衰退していく。

次ページ対抗しようとした守山乳業だが…
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