「浅井長政」攻め前日、徳川家康「信長に抗議」の内幕 言うときは言う!「姉川の戦い」に見る芯の強さ

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「30歳にもならない者が援軍にやってきて、一番隊を命じられず、二番隊だったと後々まで言われるのは、お断りです。ぜひ一番隊をお命じください」

覚悟を示すためだろう。家康は「そうではないなら、明日の合戦には、参戦しません」とまで言っている。信長も家康の勢いに押されたのか「そんなに思っていてくれるのはありがたいことだ。それなら一番隊を頼もう」と応じて、家康の要望を受け入れている。

「ここぞ」というときに、異論や反論をしなければ、本当の信頼関係は築けない。特に上に立つ人間は上昇志向が強いタイプが多いので、従順なタイプよりも生意気なタイプを買う傾向がある。

しかし、タイミングややり方を間違えると大変なことになるから注意が必要だ。家康は信長が持つビジョンについては信頼して付き従っていたからこそ、自分の要望を主張して「一方的に使われるつもりはない」という態度を信長だけではなく、自分の家臣にも示したのだろう。

異議を唱えた家臣を一括した信長

ただし、自分の主張を通したからには、結果に責任を持たなければならない。なにしろ、家康が一番隊に決まったときに、信長が懸念していたとおりに、もともと一番隊に決まっていた家臣からは異議が上がった。

「以前から一番隊を命じられていたのに、今さら、家康に一番隊をせよとのお言葉、戸惑いを感じます」

それに対して、信長は「でしゃばりども、若僧どもがわけもしらずに何をいうか!」と問答無用で一喝したという。

異議を唱えた家康に、それを受け入れた信長。その背景として、やはり前回の戦で、家康に知らせずに撤退したことがあったのではないだろうか。家康からすれば「これ以上軽んじられたくはない」という思いがあり、一方の信長は「撤退を知らせなかった」という負い目があったに違いない。

紆余曲折を経て、信長は家康の心意気に懸けたのだ。これでもし家康が失敗したならば、信長自身の威信にもかかわる。

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