子どもによい経験をさせてあげたいと心底考えている親は少なくないが、私の場合は、自分が3週間も気ままな旅をするためのアリバイ作りの面があったことを、ここに白状しておこう。
少しだけ、私のこれまでの人生を振り返ってみたい。
外の世界を知らない大人だった
私の青春は、インターネットの中にあった。高校時代にはじめてパソコン(Macintosh Color Classic)を買ってもらい、それからはパソコンとインターネットの世界に夢中だった。深夜であれば安くネットに接続できるという理由で、毎晩23時から朝8時まで向こうの世界にどっぷりだった。
そんな生活をしているので、勉学はおろか、リアルの世界とのつながりはどんどんおろそかになっていった。結局、大学を1年留年して就職をしたのだけれど、ほとんど外の世界のことを知る機会のないまま大人になってしまった。
社会人になってからは、出張で日本全国や海外、いろいろなところに行かせてもらったが、仕事で行く旅は、当たり前だが仕事に集中しなければいけない。外の風景を楽しんだり、ちょっと気になる店を見つけて入ってみたり、なんて旅を楽しむ余裕はほとんどなかった。
そんな私にとって、息子たちとキャンピングカーでアメリカを巡ったあの旅は、もう1つの青春を取り戻すような意味のある旅でもあったのだ。
知らない土地を旅しながら、これまで見聞きしてきた知識が、生の経験とつながり、1つひとつの「点」が線となり、夜空に星座を描くように、そこに生きる人たちの生活のリアリティを頭の中に描き出されていった。
3週間の旅の中で、私は息子たちの成長を実感せずにはいられなかった。
とくに印象的だったのは、冒頭に書いたネバダの砂漠の場面だ。何もない荒野のなか、映画撮影ごっこをやろうぜ! と助手席の長男と盛り上がり、彼は砂漠の荒野を走り去るキャンピングカーを撮影するために、クルマを降りてカメラマン役をやってくれた。
撮影を終えた長男が、はるか遠くから一本道を歩いてくる姿を見ながら、(あぁ、コイツはもうすぐ、俺の前を通り過ぎ、自分の道を歩いていくのだな)と深く心に感じた瞬間だった。
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