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豊田章一郎氏が遺したトヨタにおける「豊田」の意義 強いリーダーシップと集団統治の双方を調和できるか

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豊田章一郎氏は、現場現物主義を徹底できる技術者のモノづくり魂を心のコアとし、グローバル化に成功した。経団連会長になってからも、その実績をひけらかすことはなかった。八方美人的な社交を好まず、派手な趣味に興じることもなかった。この世代の名古屋を中心とする中京地区の経営者は、堂々とした「いわゆる社長さんタイプ」が多かった。章一郎氏にもその雰囲気は十分あった。だが、言葉の端々にシンプルなホスピタリティを感じた。

豊田章一郎氏を悪く言う人はいなかったような気がする。とは言え、絞り切った雑巾も絞る、と言われるように、あらゆる無駄を省くトヨタ自動車である。手厳しい仕打ちに遭った協力企業で不満の声がくすぶっていることも事実だ。それでも、トヨタ自動車とは一緒に仕事を続けたいと思ってもらうために、トップの「見えざる手」で握手する。

メディア関係者の間でも、豊田章一郎氏は好かれていた。戦略的に小細工しているわけでもないのに、自然にサポーター、ファンが増えていったように思われた。この点が、故・エリザベス前英国女王のソフトパワー(見えざる手)に例えた理由である。

豊田章一郎氏の後継者となった達郎氏は、社長就任3年目にして病魔に襲われ、療養のため取締役副会長、取締役相談役(後に非取締役に)に。その後、章男氏が社長に就任するまで、3代続いて生え抜きサラリーマンがトップを務めた。

再び生え抜きサラリーマンが社長の座に

その過程で、彼らと豊田家の軋轢が記事でも書かれ、松下電器産業(現パナソニック)と同様の組織混乱に陥っているのではないかと推察された。しかし、松下家がまったく影響力を持たなくなってしまったパナソニックとは異なり、14年間にも及ぶ創業家(章男)政権により、ファミリービジネスの「見えざる手」を守ることができたと言えよう。

そして再び、生え抜きサラリーマンの佐藤氏に社長の座が渡された。佐藤氏は、1992(平成4)年にトヨタ自動車に入社。主に技術畑を歩み、カローラやプリウスなどの部品開発に携わってきた技術者である。社長就任まで執行役員として、社内のカンパニーのレクサスインターナショナルのトップなどを務める。

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【トヨタは「高度な技術の目利き」を重視】

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