豊田章一郎氏が遺したトヨタにおける「豊田」の意義 強いリーダーシップと集団統治の双方を調和できるか
1992年夏、社長交代の発表に際し、豊田章一郎氏は弟の達郎氏を後継者に据えたことで、「同族経営を続けるのか」とメディアから問われた。章一郎氏は「同族企業(経営)」と言われることを不満に思い、達郎氏以下の役員に豊田家出身者は誰もいない点を強調した。豊田家出身者がトップとなっているのは、「幅広い経験と実績から判断した」と説明。章男氏の社長就任に当たっても同じ論理を展開したのだった。
トヨタ自動車に見られるトップ人事の「ハイブリッド」は他のファミリービジネスでも見られるようになってきた。東京証券取引所や世界の証券取引所に上場していない非上場企業であり、発行済株式数の約9割を、創業家の資産管理会社である寿不動産が所有しているサントリーホールディングスでも、元ローソン社長の新浪剛史氏を社長に迎えた。
このように、ファミリービジネスも企業統治を自社の実情に合うよう「カイゼン」する動きが見られる。だからと言って、筆者はファミリービジネスがベストの企業統治(コーポレート・ガバナンス)であるとは断言していない。
非ファミリービジネス企業にありがちな不条理の数々
だが、ファミリービジネスだからすべてが悪いとも言えない。近年の経営学では、時代遅れと見られてきたファミリービジネスの長所を見直す動きが顕著である。ファミリービジネスか、非ファミリービジネスか、という二者択一論がナンセンスになっている。トップ人事だけでなく、あらゆる面で両者のいいとこどりを可能にする「ハイブリッド経営」が求められている。
ファミリービジネスと聞けば、非合理的な企業統治が行われているように見られがちだ。実際は、ファミリービジネスであろうが、なかろうが、企業に限らず人が形成する組織には、経営学や経済学だけでは分析不可能なレベルの不条理が渦巻いている。
非ファミリービジネスである大企業に見られる、エリート・サラリーマン(ビジネスパーソン)間で生じる権力闘争、足の引っ張り合い、本業とは関係ない学歴の威力、などおかしな現象はいっぱい見られる。脳科学の知見によると、人は皆「他人の不幸は蜜の味」と思う性を備えているというのだから、このような不条理は、人の生理現象から生じているとも考えられる。
ところが、日本においては、なぜか、「不条理の効用」が働く場合がある。それは、「しよう(仕様)がない」という言葉に包含されている。日常、何気なく使っている言葉は、長い間、日本社会の中で培われてきた文化から生じる潜在心理を表象していると言っても過言ではない。
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