この教訓は現在にも当てはまる。最も重要なのは、全面勝利の追求ではなく、戦争をできる限り早期に終息させることではないだろうか。そうしなければ、取り返しのつかないところまでヨーロッパの秩序と均衡を破壊してしまうことになるだろう。それは次の大戦の火種になるかもしれないのだ。
バイデン大統領にとっての戦争の意義が民主主義のためだとすれば、プーチン大統領の教書演説は、あくまでもナショナリズムやパトリオティズムに基づく主張を展開している。演説はロシア民族やロシア文化、ロシア正教、ロシア語、歴史といった言葉に彩られていた。プーチン大統領はこうしたストーリーをもって国民に戦争の意義を訴えかけているのである。
欧米を相手にした「国民の戦争」に変質
ロシアは総力戦体制を整え、30万人の予備役を招集し、国を挙げた戦争へと向かっている。もはや、ロシアにとって、この戦争はウクライナを相手にした「特別軍事作戦」ではなく、欧米を相手にした「国民の戦争」に変質しつつある。
そうなれば、いずれ政策決定者は合理的判断にではなく、「国民の感情」に従うようになってしまうだろう。それがいかに危険なことであるか、われわれ日本人もよく知っている。
一方プーチン大統領は、アメリカ一極主義に対する対抗というロジックも展開している。このロジックに共鳴する国も世界には多々あるだろう。中国や北朝鮮、イランといったアメリカから危険視されている国々は、ロシアの立場に共感せざるをえない。
教書演説の翌日、侵攻から1年を目前にして王毅政治局員(前外相)がロシアを訪問しプーチン大統領と会談したことは注目に値する。戦争が長引けば長引くほど、バイデン大統領の言葉とは反対に、世界はますます分断を深めていくだろう。
ウクライナ紛争において、アメリカの同盟国たる日本がとり得る選択肢は多くはない。しかし、分断の深まりと中露の結託は、日本の安全保障環境をさらに悪化させることは疑いない。
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