刑事ドラマの金字塔「太陽にほえろ!」誕生秘話 刑事からの視点でテーマが「憎しみ」から「愛」に
昭和50年代になると、高校生を主人公にした学園ものがウケなくなったので、主役を大学生にして、もう少し年齢層を上げようということになりました。「俺たちの旅」は、鎌田が描いてくれたモラトリアムの主人公たちの友情と優しさがウケたのだと思います。大学受験を就職試験に変えたことで社会性を付加することができました。親元を離れて友人同士で一つ屋根の下で生活する若者の自由な生活にも視聴者は憧れたのでしょう。
ドラマの終わりに出てくる「散文詩」も、鎌田のアイデアでした。この手のドラマは1話の終わり方が難しい。はっきり終わっては次の週に見てもらえなくなるし、かといって物語を終わらせないと視聴者にフラストレーションが溜まる。最後に散文詩が出ることで物語にはっきりとした結末がなくても、なんとなく終わった気になる。それだけでなくうまくはまったときは、視聴者から大きな反響をいただきました。
最終回の散文詩は「カースケはカースケのままで、グズ六はグズ六のままで、オメダはオメダのままで、男の人生それでいいのだ」でした。視聴者にとって、彼らは隣に生きている身近な人間のように感じられたのではないでしょうか。その証拠に、3人の10年後、20年後の続編を作ったところ、視聴率が20%を超えました。ほかのドラマでこんなことはまずありえないことだろうと、誇りに思っています。できることなら、50年後も作りたいと熱望しています。
これからのテレビの担い手へのメッセージ
ドラマというジャンルのみに限って言いますと、役者やプロダクションを重宝しすぎるのはやめたほうがいい。やはり自分で選んで育てることが必要です。
最近のドラマを見ていて思うのは、事件(出来事)に凝りすぎているなあということです。それよりも、事件を受けて主人公がどう反応するのか、その細かい感情や行動を描くことのほうが重要に思います。その主人公も、奇をてらった人ではなく、視聴者が隣に住んでいるような人と感じられる親しみを持てる人を描くこと。他人の物真似ではなく、自分で新しく作ったもので勝負することです。
私は一貫して主人公の他人に対する優しさ、他人を許すゆとりを描くよう努めました。ドラマに携わる皆さんは、一つくらいは世に訴えたいテーマを持っているはずです。それを“クビ”を賭けてでも描くという気概をもってやることです。失敗して飛ばされたところで、2年もすればまた制作現場に戻ってこれるでしょう。
昔のテレビ局は自由な社風でしたが、今は組織のあり方も変わり、セクションも増えてどうしても分業、分業になってしまう。その弊害もあるかもしれません。とはいえ、テレビ局の本分は多くの人に楽しい番組やタメになる番組を提供することに変わりはありません。それができないのは時代のせいだとか、システムのせいだと言ってしまうのは本末転倒ではないでしょうか。どうぞ思い切ってやりたいことをやってください。
(インタビュー・構成/桧山珠美)
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