刑事ドラマの金字塔「太陽にほえろ!」誕生秘話 刑事からの視点でテーマが「憎しみ」から「愛」に

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テレビドラマの本分は変わっていない(写真:ソライロ/PIXTA)

「青春とはなんだ」「飛び出せ!青春」などの学園ドラマ、刑事ドラマの金字塔である「太陽にほえろ!」、そして「俺たちの旅」などにも通底する、若者たちの希望と葛藤を描く“青春ドラマ”の生みの親である岡田晋吉さん。テレビ史に名を残す稀代のヒットメーカーに、その歩みを伺った。

海外ドラマの吹き替えから国産テレビ映画への道

僕が日本テレビに入社したのは1957(昭和32)年、開局5年目でした。ずっと映画が好きで、面接のときに「年に400本は見ています」と言ったからかどうかわからないけれど、映画部に配属されました。最初の仕事はアメリカ製テレビ映画の日本語版吹き替えで、「ジャングル・ジム」や「名犬リンチンチン」などを担当しました。

当時の吹き替えは、俳優の台詞だけを日本語にして6ミリテープに録音し、犬の鳴き声などは原音を生かして放送しますが、この6ミリテープが曲者で、回転スピードが一定せず、3分以上続くと口と音がずれて合わなくなってきます。そのテープの巻きを手動で調整しながら放送するという原始的なやり方でしのいでいました。

『GALAC』2023年3月号の特集は「テレビ70年・これまでの道程」。本記事は同特集からの転載です(上の雑誌表紙画像をクリックするとブックウォーカーのページにジャンプします)

その後、パーホレーション・テープという何分回してもずれないテープが生まれ、吹き替え技術は飛躍的に進歩しました。

とはいえ、アメリカからはプリントが1本送られてくるだけ。なので、日本語版を制作するには、音に関するすべてをこちらが用意しなくてはいけませんでした。日本語版の台本はヒアリングして作成し、BGMも日本語版オリジナル曲を山本直純やいずみたくに依頼、ドアの開閉音や足音、馬のひづめの音などの効果音もこちらで作りました。

私が入社した1957年はアメリカ製テレビ映画にとって画期的な年でもありました。当初、吹き替え版の多くは子ども向け作品でしたが、この年の10月、「ヒッチコック劇場」「パパは何でも知っている」など、大人の鑑賞に堪える作品が次々と公開され、各局のゴールデンタイムで放送されるようになり、高い視聴率をとりました。

ところが1961年の5月、米連邦通信委員会のニュートン・ミノー委員長が、「テレビは一望の荒野である」と宣言。子どもの教育のために暴力シーンを追放するように求めました。これをきっかけに、アメリカのテレビ映画の魅力が一挙に衰えました。

それならば自分たちで作ろう、ということになり、アメリカのテレビ映画を手本にして、国産のテレビ映画を作り始めるようになりました。私が最初に手がけたのは「宇宙Gメン」という子ども向けの特撮ドラマでしたが、多くの学びを得たものの、視聴率的には失敗でした。

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