【後編】「母の愛情不足」に悩んだ45歳彼が見た光 カウンセリングに行けなくなった彼が感じた事
期待などしないほうが自分のためだった。そうやって生きていくことで心を守ってきた。
ずっと、心理的には孤立していた。虚しく、さみしかった。そうであることが人生だった。これらが解消されてしまったら、かえって不安になる。だから、いつまでも虚しくありたかった。
被虐待者の多くには共通して、しあわせや人との気持ちのつながり、よりよく生きていこうとすることに対してのブレーキが、きつく心にかかっている。
「綺麗にすじが通っていました。自分の欠落している部分はこれだと思いました。それが見えて、さらに頭が混乱しました。いままでのようには生きたくない。だけどこれしか生き方を知らない。がんばるだけ、我慢するだけの人生はもう嫌だ。そんな、前にも後ろにも行けない苦しみでした」
持ってはいけない気持ちはない。生き方が変わろうとするときには、必ず古い生き方が壊れていく。そのときの心の奥底には、もっと楽に生きられなかった自分への怒りがある。がんばることで抑えてきた(見ないようにしてきた)人や社会への恐怖がある。壊れていくときに、これらが一気に噴きだしてくる。
彼は、その怒りと恐怖に耐えた。そして越えていった。ピリピリとした緊張感がとれて、表情は穏やかだった。
最後にカウンセリングで聞いたこと
私はこの日のカウンセリングの最後に、村木さんにこう聞いた。
「どうですか、いまでも目が覚めなければいいと思いますか?」
「いいえ、もう思わないです。がんばるのはやめたので。若いころは、生きていくことが不安でした。それを見ないようにがむしゃらだったんです。歳をとって、その生き方に疲れきってしまいました。病院で目を覚ましてから、お医者さんもケースワーカーさんも熱心に社会復帰を応援してくれました。
『生きていれば、必ずいいことがある』と励ましてくれました。その人たちのためにも、もう二度と死にたいと言ってはいけないのだと思ったんです。だけど、これまでの人生をここで話して、『それは死にたくなりますね』と言われました」
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