家康の父と祖父も「どうする」と悩んだ人生だった 波瀾万丈な松平一族の歴史を徹底解説する
松平一族は三河国(愛知県東部)の各地に多数の一族を分立させていた。このうち安城松平家・信忠の後継となったのが、嫡男の清康であった。ところが、このとき、清康はまだ13歳(1523年)。当主として、十分な働きができたとは思われない。
そうしたこともあって、叔父の松平信定(信忠の弟)が安城城で実務を取り仕切っていたようだ。
翌年(1524)5月、安城松平家は、同じく松平一族である岡崎松平家の城(山中城)を攻め、これを落とす。
清康は山中城に移る
清康は山中城(愛知県岡崎市)に移ることになるが、この事態は安城松平と岡崎松平の和睦の結果との説がある。しかし、清康の転出は、叔父・信定の意向もあったのではないだろうか。転出と言えば聞こえはいいが、清康は安城城から、山中城に追いやられてしまったと考えることもできよう。
その後、清康は岡崎松平氏の婿養子となり、山中城を出て、岡崎城(岡崎市上明大寺町)に入る。大永7年(1527)までには岡崎城に入ったと考えられている。そして、享禄3年(1530)頃には、竜頭山に築城し、ここに移る。これが、現在の岡崎城である。
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