家康の父と祖父も「どうする」と悩んだ人生だった 波瀾万丈な松平一族の歴史を徹底解説する

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そしてその於大は、翌年(1542)12月26日、1人の男子を産む。幼名・竹千代。後の徳川家康の誕生である。当時、尾張の織田信秀は、三河国まで勢力を拡大してきており、それに対抗する意味合いが、広忠にあったのだろう。

元康の父は政略結婚だった

水野家と松平家はかねて、縁戚関係にあり(於大の叔母が松平清康の父・信忠に嫁いでいた。また、於大の父・水野忠政は岡崎の松平信貞の娘を妻としていた。清康も信貞のもう1人の娘を妻に迎えていた)、縁戚関係をさらに強める意味合いが、広忠と於大の婚姻にはあったはず。当時の御多分に洩れず、政略結婚だったのだ。

家臣による主君(清康)の惨殺、その子・広忠の諸国流浪と岡崎への帰還。呪われたかのような松平家に一筋の光明がさしたかに感じるが、戦乱の世で松平家の混乱はまだまだ続くのであった。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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