メールを「結論から書く」残念な人に欠けた視点 なぜ要件よりも「余談」がよっぽど大事なのか

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私はテレビ東京を辞めてソフトバンクに転職し、その後はソフトバンクからヤフーに出向したのですが、とても驚いたことがありました。それはコミュニケーションの多くが、メールやチャットといったデジタルで行われていること。エンジニアなどは隣の席同士でも、一言話せば済むような内容でも、メールやチャットを介してコミュニケーションをとっているほどでした。

メールやチャットで、激しく言い争いをしている光景に出くわすこともありました。文字でのやりとりなので、全て記録として残っています。

「何時何分のメールで、あなたは確かにこう言いましたよね、文章が残ってますから」

「確かに私は何時何分のメールで伝えたはずですが、まだ終わっていないのですか」

文字だけの争いは静かに、そして熱く続いていきます。売り言葉に買い言葉。文字での言い争いは、沈静化することはありません。

宛先を際限なく増やせることも、メールやSNSのメリットです。しかし争い事の際には、このメリットがデメリットに変わります。自分の正しさを証明したいがために、上役を宛先に加えていきます。

「もう俺をメールの宛先に入れないでくれ!」

こう叫んだ管理職を見たことがあります。現場の些細な問題なのに、最後は役員まで巻き込まれることもありました。

「簡潔に」「結論だけ」のコミュニケーションが問題を生むことも

こうした争いの発端は何だったのでしょうか。そのほとんどは、取るに足らないことでした。一言話せば、問題にもならなかったことかもしれません。たいていは言い方などの言葉尻が気に入らなかった、あるいは相手の事情が見えなくなっていることによるものです。

「伝え方」に関する本のほとんどが「結論から言うように」、あるいは「簡潔に述べるように」と書いています。確かに用件を伝えるだけであれば、そのほうがはるかに効率的です。ですが、「簡潔に」「結論だけ」伝えると、ぶっきらぼうな表現、あるいは冷淡な物言いになりがちです。

その結果、「言葉づかいが偉そうに聞こえる」、あるいは「こちらの事情を一切、無視しているのではないか」といった疑心暗鬼が生まれがちになってしまうのです。

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