であるからして、就職面接でうまく自分を表現できない寡黙で不器用な学生であっても、寡黙さに見合った勤勉さを期待されたりしつつ、それなりに評価されていたものなのである。
若い人間の多くは、一定のタイミングで、死にたくなる。もしくは、ひどい憂鬱(ゆううつ)に襲われる。この傾向は、昔も今も変わらない。というのも、若いということは、ほぼそのまま「心細い」ということだからだ。
とすれば、若い者が暗い顔をしているのは、本当はごく当たり前なことで、むしろ、あらまほしき、正常な反応といってもいい。
ところが、わが国では、ある時期から、暗い若者の評判が著しく低下し始め、孤独な青年は孤独であることを理由に忌避(きひ)されるという、どうにも八方塞(ふさ)がりな空気が漂っている。でもって、建設的で前向きな人間でないと、社会人として失格だという風潮が定着するや、この国の若者は、いつしか、見違えるように明るくなったのである。
本当に明るくなったのか、単に明るく振る舞うようになっただけなのか、そこのところはわからない。
が、ともあれ、態度についてだけいうなら、2010年代の若者は、私が若者だった時代の若者と比べて、3割増しぐらいの感じでフレンドリーになっている。
全体として、無理にでも明るく振る舞う負荷がかかったことは、あるいは、世のなかのためには、いいことだったのかもしれない。
若い人たちの間に広がる「人脈格差」
でも、弊害もある。
いちばんのデメリットは、若い人たちの間に、奇妙な格差が広がっていることだ。
ここでいう格差は、必ずしも経済的なものではない。強いていうなら、「人脈格差」といった感じのものだ。
私の見るに、ごく一部のやたらと調子のいい世渡り上手の兄ちゃんと、それ以外の戸惑いながら生きている普通の若者の間には、ある不穏(ふおん)な溝が刻まれつつある。もしかすると、この傾向は、とても感じの悪い未来につながって行くかもしれない。
「オレ、3年以上行き来のない古い名刺は、悪いけど捨てちゃうよ。人脈はストックじゃなくてフローだからね。そうやって自分の人脈をアップデートしていないと、相手にも失礼でしょ?」
的な、およそぶん殴りたくなるようなツイートをカマしながら、それでいて権力のあるおっさんたちにけっこう可愛がられている若者がいるかと思うと、反対側の極には、他人と話す時に決して相手の目を見ることのできないタイプの若い人が増殖していたりする。