小学生の友だちの垣根は低い
小学生に友だちの数を尋ねると、たぶん曖昧(あいまい)な答えが返ってくる。100人と言うかもしれない。30人と答えるかもしれない。どっちにしても、彼らは自分の友だちの数を正確に数えることができない。というのも、小学生にとって、友だちは、自分の周囲にいる同年齢の子どもたちのほとんどすべてを含む概念で、言葉を交わしたことのない隣のクラスの児童であっても、互いに顔を見知っていれば友だちの数に算入しているかもしれないからだ。それほど彼らにとって、友だちの垣根は低い。
内気な子どもの場合、日常的に交際している子どもの数は、実際にはそんなに多くない。1人か2人ということもある。が、本人の意識の中では、友だちはずっと多い。ひとクラスが30人であるとするなら、おそらく、20人ぐらいまでは友だちだと思っている。
小学生にとっての「友だち」の定義は、現実に行き来のある相手に限られるわけではない。同じクラスにいて、なんとなく親しみを感じているだけでも、彼らにとっては友だちということになる。このことは、年齢の低い子どもにとっては、「自分が友だちの中にいる」ことがとりわけ重要だということを暗示している。もしかしたら、彼らにとって、「自分」というのは、単独で生きて動いている存在ではなくて、ある程度の数の同年輩の子どもたちの中にいて初めて機能する繊細な部品のようなものなのかもしれない。
何年か前、何かの席で、夢の話が出た。
「夢の中の映像に自分は映っているのか」
というのが、その時の主たる話題だった。