「フリーターからSE、起業家へ」ある男の通った道 ブラック企業に就職、段ボールで寝た経験も…

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ゴルフ用品店では、POSと呼ばれる会計や在庫管理のシステムや、ネット上の販売サイト、コンピュータのネットワークを作ったりと、IT関連の仕事がたくさんあります。それらの仕事を、社内SEとして、私に任せてくれることになったのです。

正直に言うと、当時の職場は今でいうブラックだったと思います。仕事が立て込んだときには、1カ月休みがないこともありました。

しかし、仕事は楽しかった。社内SEとして、ITの専門家は私しかいませんから、多くの人から本当に頼りにしてもらえたのです。人に頼ってもらえることや、自分が作ったものが喜んでもらえることが、これだけうれしいとは思いませんでした。初めて仕事に対して、やりがいを感じたのです。

そして、次の職場で本格的なエンジニアの「闇」にも触れることになります。

スカウトがきっかけで、あるIT企業に転職したのですが、なぜか給料も待遇も新卒扱いでした。そして研修終了後に参加した案件が、今では「デスマーチ」や「炎上プロジェクト」とも呼ばれる仕事だったのです。未経験の3人と私の4人でチームを組んで、その案件を担当しました。

しかし、3人はほとんど未経験なので、プログラムを書けるのは私だけ。「絶対遅れてはならない」と言われていて、何とか納期に間に合わせるのですが、ほかのチームが遅れているので、あまり意味がないというひどい状態が続きました。

当時の勤務時間は月400時間を超えることもありました。もちろん、土日なんて関係ありません。倉庫の段ボールで寝ることもありました。プチプチしている緩衝材と段ボールで寝るのですが、意外に「あったかいな」と感じました。今となっては、なかなかできない経験です。

ようやくその案件が終わり、次に参加したプロジェクトは逆に仕事がなさすぎて、ずっとネットサーフィンばかりをしていました。仕方ないので、この時間を活かして転職活動をすることにしました。

「どんなビジネスを作るか」が関心事に

この頃の私は、技術志向が強かった時代で、かなり調子に乗っていました。まわりに本物のエンジニアがおらず、「俺、結構できるほうなんだな」と、自分の技術力を過信していたのです。

しかしイベントなどで、技術力の高いエンジニアと出会い、衝撃を受けます。「やっぱり、世の中は広いんだな」と痛感しました。そこで、調子に乗っていた自分を反省して「何でもやろう」と心を入れ替えたのです。

ちょうど在籍していた会社が広告代理店と合併することになり、「どうビジネスにつながるのか?」という観点が重視されるようになったタイミングでした。「いかに技術力を高めるか」から、「どのようなビジネスを作るか」という関心の変化は、私のキャリアにおいて重要なものになります。

合併後は、ガラケーのメディア運営の事業部に在籍し、ポイントサイトの運営を担当しました。かなり雑務が多い仕事だったのですが、システムを開発することで自動化。さらに複数のガラケー公式メディアを企画・開発するなど、徐々に仕事が軌道に乗ってきました。

すると、エンジニアではなく、プロデューサーという肩書で出世できたのです。さらに、今まで代理販売していたサービスを内製化したり、さまざまな広告サービスを⽴ち上げたりと、業務のフィールドを広げていきました。

この頃には、技術に関する考え方も大きく変わりました。ビジネスから逆算するようになったのです。例えば、「広告ビジネスはこう変化するから、アメリカで広まっているこの技術が必要になる」と考えるのです。

気づけば、新規事業部のトップとして、毎月Webサービスを2、3本作るようになっていました。

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