仏教に救われた「LGBTQの僧侶」が修行で得たもの 紅白歌合戦の審査員も務めた西村宏堂さんの生き方

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メイクやファッションの力を信じていると語る。美的センスにも優れ、美術を学んできた西村さんにとって、メイクアップアーティストは適職だったに違いない。

しかし、大学卒業後、本格的にメイクアップアーティストとして歩み始める前に、西村さんは2つの大きな決断をする。

1つめの決断は、両親へのカミングアウトだ。

アメリカでは、すでに自分が同性愛者であることを隠さずに生きていたが、両親にはまだ告げられずにいた。

「やはり、すごく怖かったんです。うちの両親はドイツに住んでいた経験があり、多様な文化や価値に理解のある人だけど、それでも、きっとがっかりするんじゃないかなと」

(撮影:今井康一)

それでも告白を決心したのは、「大切な人たちに本当のことを言わないと変われない。人生の本番が始まらない」と感じたからだ。24歳のとき、一大決心で告白すると、想像以上にあっさりと受け入れてくれたという。

「母親は、『こうちゃんが小さい頃から私も悩んでいたけれど、ようやく謎が解けたわ』と。父親は薄々気づいていたみたいですね。『宏堂の好きなように生きなさい。宏堂の生き方は宏堂が決めることだから』と言ってくれました」。

両親が受け入れてくれたことで、モノクロの視界に一気に虹がかかり、頭の上の漬物石が空高く吹っ飛んだような、心が軽い気持ちになったそう。

両親がありのままの自分を受け入れてくれたことで、西村さんの暗黒期は完全に終わった。

「周囲に自分がどんな人間であるかを正直に話すことが絶対だとは思いません。人により事情も心の準備もあるでしょう。でも、自分にとってとても大切な人、これだと思う人には、いつか本心を打ち明けられたらいいですよね」

大嫌いだった仏教と向き合って人生が変わった

もう1つ大きな決断は、大学卒業後に僧侶の修行に参加すること。

「理由は仏教を学び、僧侶になる過程で自分がどう進化できるのかを知りたかったからです。大学でアートを学び制作するうちに、もっともっと自分のアイデンティティを突き詰めることが必要だなと実感しました。大学の課題だった作品作りでは、折り紙や華道など日本の文化を織り込んだものを作ろうとしていましたが、正直、納得のいくものはできなかった。つまり、『自分らしさ』を表現する方法に行き詰まっていたんです」

自分らしさとは何か? 多くの人が人生の折々で挑む命題に、西村さんも向きあった。そのとき、浮かんできたのが大嫌いだった仏教を学ぶことだったという。

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