「老化」物覚えが悪いよりも深刻な"無口"の弊害 50代から始める脳を鍛える「具体的な習慣」
「今日は誰と会い、どんな話をしたか」「昼に何を食べ、それは美味しかったか」「通勤途中や散歩途中で何を見かけたか」─そんな「なんでもないこと」も、思い出そうとしなければ「記憶にない」ことで終わってしまいますが、「思い出そう」とすれば、必ずや何かしら記憶から引っ張り出されてきます。
日記といっても、何も長々と文章にしなくても、ほんの数行でもかまいませんし、あるいはツイッターのような「つぶやき」の形で書き出すだけでもよいのです。
つまり日記は書き「入れる」ものではなく、書き「出す」もの。「思い出すトレーニング」と考えれば、三日坊主にもならずに済むのではないでしょうか。
ブログやフェイスブックは不特定多数に向けての「公開日記」。思い出したことを「他の人にもわかるように」書き出すことで、一層「出す力」にも磨きがかかる。
日記はあくまでプライベートのもの、自分だけがわかればよいのですが、ブログやフェイスブック(以下FB)は不特定多数の人たちに公開されるだけに、他人にもわかるような書き方でなければそこに「書き出す」意味もなくなってしまいます。それゆえ、日記よりはるかに言葉遣いや表現に気を遣うことになるので、「表現力=出す力」のトレーニングになります。
書き込むことと「考えて文章を書く」ことは違う
多くの人は日常、「考えて文章を書く」という機会はほとんどないのではないでしょうか。仕事の予定を手帳に書き込む、会議の要点をノートに記録する、電話の内容をメモする─―これらはあくまで書き「入れる」作業であり、記憶や考えを書き「出す」作業とは一線を画します。
またビジネス文書や企画書などを書くことはあっても、これらもどちらかというと、定型パターンに従って、資料や文献から必要事項を書き「入れる」作業に近いといえます。
脳のなかのあちらこちらに散らばった情報や知識や記憶を引っ張り出してきて、さらにそれらを、他人にも理解できるように書き出す─―そのように書こうと思うと最初はそれなりに時間もかかるかもしれませんが、やっているうちに前頭葉のサビつき部分にも潤滑油が注入され、スムーズに働くようになります。そうなるとおのずと「すらすら思い出せる・書き出せる」ようになるのです。
ブログやFBによって構築される未知の人たち・モノ、世界とのネットワークが、知られざる自分や新たな可能性への扉を開き、脳に快感を与え、活性化させる。
前述のブログやFBの効用は、「表現力=出す力」アップにとどまりません。
あなたが書き出した内容に対して共感を持った人、それが有益情報として役立ったという人、時には「異議あり」と反論してくる人……見知らぬ人たちから様々なリアクションが来ることもあります。そのような、もしブログやFBに書き出さなければ知ることもなかった人たちとの「つながり」ができ、ネットワークが生まれるのです。
そこからまたあなた自身が、これまで得ることのなかった新たな情報や知識を得たり、さまざまな人たちの思考から刺激を受けることになります。
そしてそのネットワークによって新たな「気づき」を得たり、未知の世界を知ることになったり、また、あなたの奥深くに眠っていた才能や可能性が呼びさまされることもあります。
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