巷にばら撒かれる「ニセ哲学」に警戒せよ

「趣味としての哲学」は成り立つのか?

しかし、以上はタテマエで、実際、哲学をしてみたけれど、まったく、本当にまったく報われないと、やる気を失うでしょう。まず、最低線として、自分の拘っていることが果たして哲学なのか、という疑問がふつふつと湧いてくる。この疑問は、果たして自分は哲学の才能があるのか、という疑問と抱き合わせです。

カントやヴィトゲンシュタインは、結果として驚くべき才能に恵まれていましたし、同時に自分の才能を確信していましたが、私程度の凡庸な哲学者は、どうにもほかの哲学者、できれば優れた哲学者によるお墨付きがないと自信がない。というのも、哲学は、数学や物理学などのように、学問対象の規準がはっきりしていなくて、何でも考え続けていれば、哲学していると言えないこともないからです。

世に出ない「才能」は、ごく「まれ」な存在

念のために断っておきますと、私は通俗的・定型的見解は大嫌いですが、「哲学的才能」のように、どこまでも空漠とした概念に関しては、まず信頼できる通俗的規準を参考にしています。すなわち、有名大学の哲学科の大学院に受かること、そこで博士の学位を取ること、あるいは、その論文や著作が専門の哲学者集団に認められること……です。

もちろん、「東大の哲学科出はバカばかり!」「哲学で博士号を取ったヤツは重箱の隅をつつくように干からびた研究しかできない!」「哲学の専門集団なんて嫉妬の集団であって、本当に能力のある者を潰す集団だ!」と叫び続けることも自由ですし、ある側面の真実を語っている。しかし、そうであったとしても、そう叫ぶ人がこれらすべての基準を無視(軽蔑)して、独創的な哲学の営みをしつつあるとは、どうも信じられない。

これまでの経験からつくづく思うのですが、世に出ていない天才画家とか天才小説家とかはいないこともないし、数学における、音楽における天才少年もいないことはない。しかし、世に出ない「哲学の才能」って、本当に「まれ」なのです。私自身、これまで50年近く専門家集団において優秀な哲学(研究)者に山ほど会ってきましたが、「その外」にはただのひとりもその才能を見いだしたことはない。

こういった瞬間に正確に言い直す必要がありますが、「その外」、具体的には、私の主宰した「無用塾」や「哲学塾」でも、磨けばそこそこの哲学(研究)者にはなれるだろうなあと思わせる「原石」には(10指に充たないものですが)お目にかかりました。

そのうちの何人かは、東大や慶応や上智などの有名大学哲学科の大学院に合格、専門哲学研究者としてのスタートを切りました(その後は知りませんが)。ですが、その道を選択しようと考えない人に対して、私は無理に勧めることはしません。たとえ哲学の研究者になっても、普通の意味で、いかに報われないか、肚の底までよく知っているからです。

「趣味としての哲学」は存在するのか

さて、このあたりでやっと本題に入りますが、読者諸賢は、自分は何もデカルトやヴィトゲンシュタインを目標にしているのではない、大学の哲学の教授を目指しているわけでもない、ただ哲学がしたいのだ、それにはどうしたらいいのか? そう聞きたいのかもしれません。

しかし、この問いに答えるのはかなり厄介です。「趣味としての哲学」とは自己矛盾であり、それは哲学ではないからです。哲学とは、その核心的部分に「真の哲学」があり、その周辺に広大な哲学のすそ野が広がっている、という構造をしているわけではない。

次ページ広大無辺!「ニセ哲学」のすそ野
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