「数学嫌い」を放置する日本で人材が育たない事情 小・中学校で理解を無視した「暗記教育」が横行
その授業および後にリベラルアーツ風にアレンジした正規の授業を通して得たものは、以下のようなものだ。学生の「わかる」という言葉の意味は「やり方」を覚えることであって、数学科教員時代の学生の「わかる」という言葉の意味がプロセスの「理解」であったこととは対照的である。
「私は小学校の算数以降、『やり方』の暗記だけで学ばされました。算数・数学の内容を『理解』できるように説明してもらったのは初めてで、昔から先生のように教えてもらっていたら人生は違ったと思います」という感想が相当多くあった。
「数学嫌い」になった若者を目覚めさせるには
今年度のゼミナールには19人の学生が在籍し、約半分が数学専攻をメジャーとする学生で、採用試験に合格して教員になる者も毎年いる。残りの半分は、人文・社会系の学問をメジャーとする学生で、入学時には「数学嫌い」であった。その人たちがなぜ、筆者のゼミナールに集まったのか。ほとんどは上述した「就活の算数ボランティア授業」をリベラルアーツ風にアレンジした正規の授業の履修者で、初等中等教育段階で受けた暗記だけの教育に対する悔しい気持ちをもっていた。
先日のゼミナールでは、スライドパズル(15ゲーム)の仕組みを学んだ。かつて流行ったもので、4×4の枡目の中に1から15の15個の小チップをバラバラに入れて整理し直して並べるゲームで、完成するものと完成しないものが半々である。その半々になる理由を、拙著を参考にしながら学んでもらったが、「数学嫌い」だった過去を打ち消すかのような理解力と試行錯誤する熱意を示していた。
初等中等教育段階で「理解を無視した暗記だけの学び」によって「数学嫌い」になった若者は「教育の犠牲者」といえる。その人たちに可能な限り早く目覚めてもらう教育を施してあげれば、立派な理系人材として活躍できる人も少なくないはずだ。とくに、医者が患者を診る気持ちも参考にして、生徒や学生がわからなくなった箇所を早めに見つけてあげて、そこまで遡ってゆっくり丁寧に説明することが大切であろう。
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