「数学嫌い」を放置する日本で人材が育たない事情 小・中学校で理解を無視した「暗記教育」が横行
『AI時代に生きる数学力の鍛え方』の趣旨、すなわち「暗記」ではなく「理解」が大切であることを納得してもらうために、数学的な間違いを見つけて正すことは一つの方法である。12月14日に『中学生から大人まで楽しめる 算数・数学間違い探し』(講談社+α新書)を出版するのはそれゆえである。
そのような訴えを積み重ねても、「理解」無視の「暗記」だけの教育が簡単に改まるとは思えない。背景には、プロセスまで理解させる指導ができる算数教員が不足していることがある。文部科学省は中学や高校の数学教員が小学校の算数授業を担当できる特例を設けるなどの対策を講じているが、顕著な形で効果が現れるには相当時間がかかるだろう。
算数・数学を本当に好きになる瞬間
筆者は来年3月に定年退職となり、45年間の大学教員人生の幕を閉じる。その間に、非常勤講師を含めると文系理系合わせて約1万5000人の大学生に授業をし(文系・理系が半々)、約1万5000人の小中高校生に出前授業でスピーチしたことになる。その経験から悟ったことは、生徒や学生が算数・数学を本当に好きになる瞬間は、「計算が速い」「試験の点数が良い」などではなく、何らかの「概念」や「問題」を初めて理解したり解決したりしたとき、あるいは「面白い応用例」を自分のものにして喜んだときである。小中高校への出前授業を積極的に行ってきた理由には、それがある。
2006年9月に手弁当で訪ねた北海道立浜頓別高校で、「不動点定理」というものを体験する「名刺手品」の証明をきちんと述べたとき、証明に感激した生徒が興奮を止められなくなって先生方が一苦労したこと。あるいは、2007年12月に三重県での高校生セミナーに参加して筆者の話を聞いた生徒が、後に同志社大学数理システム学科での授業(非常勤講師)で顔を合わせたこと――。
そのような出前授業に関するうれしい思い出は多々あるが、「数学嫌い」の問題を生涯の課題と捉えている筆者にとって、2007年からの本務校の桜美林大学リベラルアーツ学群での“やりがい”のあった活動の中には、数学嫌いな学生から教えられた重要なことがいろいろある。
桜美林大学に移った数年後に、就職委員長を補職としてお引き受けした。その頃はまだ学生の就職難が続いているときで、就職適性検査の問題が苦手な学生向けに、後期の毎週木曜日の夜間に「就活の算数ボランティア授業」を2コマ開催した。筆者の手当がいっさいナシなのは当然として、学生も単位認定いっさいナシであったが、3年間で約1000人もの学生が授業に参加した。
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