「新自由主義大政翼賛」から転換する方法はあるか 「民主的多元主義」による経世済民の復活可能性
「上からの革命」である新しい階級闘争にたいして、「下からの反革命」が始まるのです。
だとしてもポピュリズムは、新自由主義を掲げる管理者エリートの支配にたいする解決策になりうるか?
処方箋はある、だが実践は難しい
この点について、マイケル・リンドは否定的です。
理由は簡単。
ポピュリストの政治家は、まさしくアウトサイダーであるがゆえに、社会をうまく統治するための才覚や経験を持っていない。
政権を奪取しようとしているうちが華であり、そのあとはボロが出るばかりということになってしまいます。
ついでに管理者エリートが大衆を苦しめていることは、ポピュリストの政治家が清廉潔白な正義の士であることを何ら保証しない。
こちらもこちらで、不正や腐敗に手を染めている場合が多いのです。
しかも支配階級はメディアにも強い影響力を持つため、印象操作はお手のもの。
ゆえにポピュリズムは、管理者エリートの秩序を脅かしたり、部分的に破壊したりするところまでは行っても、結局は返り討ちにあって敗北するのがオチとなりやすい。
「下からの反革命」の限界をめぐっては、拙著『感染の令和 またはあらかじめ失われた日本へ』(KKベストセラーズ、2021年)収録の「ポピュリズム・オブ・ザ・デッド」もぜひご覧いただきたいものの、ならば「上からの革命」を抑え込み、経世済民をあらためて実現する方法はないものか。
リンドの処方箋は明快です。
すなわち1940年代後半から1970年代半ばまで、社会に安定と繁栄をもたらした「民主的多元主義」を復活させること。
新自由主義大政翼賛から転換するにはこれしかない! というわけですが……。
このあたりから本書は説得力を失いはじめる。
いえ、「民主的多元主義の復活」という処方箋自体は正しいのです。
けれどもリンドの処方箋からは、「管理者エリートによる新自由主義の支配が確立され、大衆がポピュリズムに走ることでしか抵抗しえずにいる状況で、くだんのシステムをどうやって再構築するのか(=支配階級をどうやって譲歩に追い込むのか)」という点が、みごとに抜け落ちている。
おまけに国家レベルで新自由主義を否定するには、世界レベルでも新自由主義を否定しなければならないとまで主張する始末。
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