「新自由主義大政翼賛」から転換する方法はあるか 「民主的多元主義」による経世済民の復活可能性

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けれども1970年代後半あたりから、支配階級は逆襲に転じました。階級闘争と言えば、労働者が資本家を突き上げるイメージがあるものの、「新しい階級闘争」は、管理者エリートが組合をつぶしたり、社会保障の削減を政府に働きかけたり、労働者階級の利益や価値観を擁護する団体の影響力が失墜するように画策したりすることで始まったのです。リンドがこれを「上からの革命」と形容したのも、無理からぬところでしょう。

新自由主義大政翼賛とは何か

「上からの革命」を遂行するにあたり、支配階級たる管理者エリートは巧妙な手を使いました。つまり「自由」の概念を媒介にして、市場原理を重視する経済保守主義と、世界市民主義や多文化共生を称賛するリベラリズムを結びつけたのです。これこそ、世に言う「新自由主義」。

労働者階級の価値観は、生まれ育った土地柄や環境に深く根ざしているため、地域主義やナショナリズムが基本。したがってリベラリズムを支持すれば、「無学な連中の発想は偏狭で閉鎖的」とばかり、相手を貶めることができます。

ついでにリベラリズムは、移民受け入れを促進するカードとしても使える。こちらは安い労働力として使えますから、労働者の交渉力はそれだけ弱まります。一石二鳥ではありませんか。

 

しかるに経済保守主義が、いわゆる右寄りの立場なのにたいして、リベラリズムは左寄りの立場。

「経済保守主義+社会的リベラリズム」という新自由主義のスタンスは、右も左も否定しえないものなのです。すなわち管理者エリートの階級では、「上からの革命」が進むにつれて、新自由主義を旗印とした大同団結が成立する。

私は2022年に制作した最新のオンライン講座『2025年、日本が迎える巨大な分岐点 僕たちは衰退の果てに基盤を失う』(経営科学出版)で、平成以後の日本においては、自国のアイデンティティーにひそむ矛盾ゆえに、政治的な立場によらず誰もが新自由主義を支持してしまう「新自由主義大政翼賛」の状況が生じていると論じました。大同団結成立のメカニズムこそ異なるものの、リンドの論じる「上からの革命」の仕掛けは、これと瓜二つだと言えるでしょう。

 

新自由主義大政翼賛により、主に大都市圏の外で暮らす労働者階級は追い詰められました。サラ・ケンジオールの言葉をふたたび借りるなら、「アメリカの支配層は貧しい人々にたいし、『ただ食いつなぐ』ことを偉大な努力目標として売りつけるようになった」のです。

むろん、不満も高まってゆく。

すると決まって、アウトサイダーの立ち位置からエリートに挑戦を試みる(自称)リーダーが現れます。

当該の人物が大衆の支持を集め、ときに政権まで奪取するのが、世に言うポピュリズム。

ドナルド・トランプはその典型例でしょう。

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