死を予感?「大久保利通」暗殺直前に見た夢の中身 あらぬ誤解によって47年の生涯を閉じた

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「あの背の高い兄が、座にいたたまれず、焦燥しながら、座敷と廊下の間を鴨居に頭をぶつけながら、グルグル歩き回って、そして目にはいっぱい涙を湛えていました」

西郷が西南戦争に関与していることを最後まで信じなかったのも、大久保だった。そんな盟友の死は大久保にとって大きな悲しみだった。しかし、だからといって、西郷の死を受けて、大久保がふさぎ込んだわけではない。むしろ逆であり、張り切っているようにさえ見えた。

大久保利通が語った「らしくない」言葉

ある日、大隈は伊藤ととともに、大久保に呼ばれると「いままでは吾輩は各方面から干渉されて思うようなことができなかった」と言い、こんな「らしくない」言葉を続けた。

「君らもさぞ、私のことを頑迷で因循な政治家だと思っただろうが、これからは大いにやる。俺は元来進歩主義なのじゃ、大いに君らと一緒にやろう。1つ積極的にやろうじゃないか」

実際のところ、大久保に干渉できる存在はそう多くはなかった。政敵の江藤新平や恩人の島津久光らがそうだが、やはり大久保が最も意識したのは、西郷である。大久保にとって西郷が頼もしい同志だったことは間違いない。

だが、それと同時に、決して意向を無視できない、周囲に大きな影響力を持つ同郷の先輩でもあった。西郷亡き今、大久保は「ここからいよいよ自分が周囲を牽引するほかはない」と決意を新たにしたのだろう。

そんな矢先に大久保の人生は突然、幕を下ろすことになる。

明治11(1878)年5月14日。大久保は霞が関にある屋敷を出て、2頭立ての馬車に乗り込んだ。馬丁(ばてい、馬の世話をする人)の芳松と、馭者(ぎょしゃ、馬車を走らせる人)の中村太郎の2人が同行している。

この日は、赤坂仮御所での会議に出席する予定だった。しかし、午前8時30分ごろに紀尾井町清水谷にさしかかると、潜んでいた6人によって大久保の乗る馬車が襲撃される。

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