馬丁の芳松は背中を切られながらも、逃走。一方、馭者の中村太郎は馬車から飛び降りたところ、一太刀を浴びて命を落とす。そんななか、大久保は無残にもメッタ刺しにされている。
額に約15cmという深い切り傷を負い、頭部右側面にはさらに深い約18cmの切り傷を受けて、頭蓋骨が切断された。後頭部も同様に18㎝の切り傷を2カ所も負った。加えて、頸部には約6cmの刺し傷を負っている。最も深い傷は、右肩だった。約20㎝刺されて肋骨を貫通している。
そのほか、鼻の右側、下顎の左側なども斬りつけられた。明確な殺意をもって頭や顔を中心に狙われたことがわかる。少しでも防ごうと抵抗したのだろう。左右の腕や手の甲にも切り傷があり、全身で実に16カ所もの傷を負うこととなった。
大久保はそのまま死去。47年の生涯を終えた。これが「紀尾井坂の変」と呼ばれる暗殺事件である。犯人は石川県の士族、島田一良ら6人だった。
大久保は自分の死を予感していた?
大久保の側近、前島密は急報を受けて、現場に駆けつけた。凄惨な現場を目の当たりにして茫然自失。その場に立ち尽くしながらも、何とか平静を取り戻すと、大久保の遺体を検分。むごすぎる遺体の状況を語っている。
「肉が飛び、骨は砕け、また頭蓋骨が裂けて、脳がまだ微動しているのを見た。何たることだろうか」
そのとき、前島は大久保が見たという夢のことを思い出していた。その夢とは、大久保が西郷とともに格闘して、そのまま崖の上から落下。頭蓋骨が割れて、自分の脳が微動するのを大久保は見たという。まさに夢のシーンが現実になったことになる。大久保がそう前島に話したのが、凶行のわずか数日前のことだった。
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