入学後は寮に入ったため、寮費は月額700円。光熱費や共益費は2万円で、食事も3食出て7000円だったため、それらはすべて奨学金とアルバイトで賄うことができた。
入学当初は母との約束を守り、勉強会にも参加。しかし、早々に行かなくなった。
「勉強会では教団の本を読んで、一問一答形式で教えを学んでいくのですが、教団側の意図する答えしか本には載っていないんですよ。当時の私は大学に入って、批判的思考を学んだばかりだったので、いちいち教団の教えに対して口答えするようになったんです。そうすると、ほかの参加者たちから『どうしてあなたは素直じゃないの?』とけむたがられるようになって、『もう、こんな宗教は信じません!』と飛び出してしまったんです……。結果、母とも交流が断絶してしまい、約束していた毎月の仕送り5万円は止められてしまいました」
さまざまなバイトに挑戦し、世界が広がっていった
さすがに、奨学金だけでは生活できない。そこで、岡田さんはアルバイトに精を出すようになったのだが、これが彼女の世界を広げることとなった。
「お祭りのテキ屋、ドラマのエキストラ、駐車場の警備員、スーパーマーケットの試飲、交通量調査、家庭教師……当時はとにかくいろんなバイトをしました。住んでいた寮には、さまざまなアルバイトの案内が届くので、親の扶養を超えない範囲内でいろんな職場で働いたんです。
春休みと夏休みにはリゾート地で住み込みのリゾートバイトを経験したことがあります。住み込みバイト中は1週間に1回しか外に出る機会がないため、そのときにお酒を買い込んで、みんなで星空を見ながら酒盛りするんです。そこでは、私のような大学生以外にも、フリーターや出稼ぎの60代までいて、さまざまな背景、さまざまな価値観を背負った人と出会うことができました。
沖縄で働いたときには、リゾートバイトと聞いていたのに、いざ行ってみるとまさかのスナックだったこともありました。それでも、三線を弾いて飲んで歌う毎日だったので、働くのがツラいと思ったことはありません。大学もそうですが、バイトをしていくうちに、どんどん自分の世界が広がっていくのが楽しかったんです」
彼女が入った寮には1年で出るルールがあったが、寮で仲良くなった友人と5万円の一軒家を借りてルームシェアすることになった。ボロ家だったため、光熱費は折半しても1万円にもならなかったという。
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