ケントさんの話を聞く限り、会社が合理的配慮に努めた様子はない。それどころか、ケントさんがケアレスミスを防ぐため「メモを取らせてほしい」と申し出た際には、「一度聞いたことは記憶しろ」「体で覚えろ」などと言い、メモを取ることを禁じたという。提案された改善案を無視し、発達障害の可能性があるというだけで退職勧奨するなど、会社側の対応は相当に悪質である。
一方でケントさんはなぜそんなに簡単に退職勧奨に応じてしまったのか。会社に労働組合はなかったのだろうか。私の疑問に対し、ケントさんはこう答えた。
争ったり、もめ事を起こしたくない
「会社に労働組合はありました。組合の人からは『辞める以外にも方法があるんじゃないか』『会社と話し合いをするべきだ』と言われました。でも、私が会社と争ったり、もめ事を起こしたりしたくなかったんです」。
本連載の取材をしていると、不当な退職勧奨に対し「争いたくない」との理由で黙って従ったという人に出会うことは珍しくない。彼らはなぜ争うことを避けるのだろう。声を上げることのリスクを恐れる気持ちは理解できる。しかし、一番悪いのは会社だし、理不尽な要求に対して怒らなければ、一方的に不利益を強いられるだけなのではないか。
労働者が権利を主張することは法律で保障されており、迷惑や身勝手と批判される行為ではない。怒ることや権利を主張することが悪いことでもあるかのような風潮があるのだとすれば、それはとてもあやういことのようにも思える。
ケントさんはある地方都市で生まれ育った。両親は共働き。裕福とはいえず、大学進学は経済的な理由で諦めた。同じタイミングできょうだいの1人が寮生活を始めることになり、そちらにお金がかかるのでケントさんの学費は出せないと言われたのだという。
「田舎だったので、実家から通える大学はありませんでした。下宿しながら、奨学金を借りてバイト漬けという生活は自分には無理だと思いました。(親から学費を出せないと言われたことは)今でも不満に思っています」
工業高校に進んでいたケントさんは自動車整備士の資格を取得した。しかし、高校に来る求人は正社員にもかかわらず、月給15万円ほどの自動車販売店のものがほとんど。教師の勧めもあり、専門的な知識や技術が求められるが、自動車販売店よりは待遇のよいショベルカーやブルドーザーといった重機車両を扱う会社への就職を決めた。月給は約20万円。なんとか1人暮らしをしながら、将来に備えて毎月5万円の貯金をすることもできたという。
しかし、先述したようにこの会社を3年ほどで退職。その後はドラッグストアやコンビニでのアルバイトや、ごみ収集の臨時職員などをしながら公務員試験に挑戦した。しかし、数年間で10回以上受験したものの、いずれも不合格。やむを得ず民間の転職支援サイトに登録したところ、経験者という理由で整備士の仕事を紹介された。
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