今回、日本を担当した障害者権利委員会副委員長のヨナス・ラスカス氏(リトアニア国立ヴィータウタス・マグヌス大学教授)は、オンラインの講演会(*3)で、「障害者権利条約は、障害は障害者自身でなく、社会や人の考え方にある『社会モデル(連載第1回なぜ「ふかふかの絨毯」は車いすだと困難なのか?に詳述)』と、人権モデルが相互に補完したものだが、日本では人権モデルの理解が不足している 」と指摘した。
「重度障害者」という言葉
とくに、今回の日本滞在中の経験から、「障害の医学モデル」が深く根付いている例として、こう説明した。
「日本では、『重度障害者(person with severe disability)』という言葉をよく使います。しかし、それは医学モデルに基づく言葉、医学モデルの評価です。人権モデルでは『より多くのサポート(those who require more intensive support)』と表現します(*4)」
ラスカス教授によると、「重度障害」「重度障害者」という表現は「重度だからできない。重度だから考えられない」につながり、ほかの人との平等、尊重の考え方にそぐわないという。
障害者権利委員会が特別支援教育の廃止を非常に強く勧告したことについては、「障害の有無で分離した特別支援教育は、インクルーシブな社会で暮らしていく道のりを否定し、将来、施設で暮らすことにつながる。インクルーシブ教育なくして、障害のある人の自立生活はあり得ない。だから、明確に今回の勧告を出している」とラスカス教授は強調した。
インクルーシブな社会とは、いろいろな特性を持つ人が一緒に日々、関わり合いながら暮らしていくことだ。そのとき、障害のある人と過ごした経験がないと、お互いの気持ちや置かれている状況をわかり合えないことが多い。
子どもの頃はお互いが対等で、学校生活の中で困っている人がいれば、自然に助け合う気持ちが育まれる。だが、インクルーシブな環境に慣れていなければ、大人になってから障害のある人と出会っても、どのように対応すればいいか戸惑うだろう。
同時に、障害のある人も、困ったら周囲に助けを求める力を養うことが重要で、そのためには大勢の人の中で過ごす経験が必要になる。時代の流れによって、日本の教育は世界標準に合わせて、いま、根本的に変更していくことを迫られている。
今後の日本のロードマップとして、インクルーシブ教育を30年あまり研究する東洋大学客員研究員の一木(いちき)玲子さん(54)は、次回(2028年)の建設的対話までに、短期目標として総括所見で勧告された「障害のある子どもの地域の通常学級への就学を拒否しない法令の策定」および「特別支援学級に関する(前述の)文科省通知の撤回」を挙げる。また、勧告内容を実施するため「地域の学校に就学する障害児を増やすための目標数値」「特別支援学校を段階的に廃止するための目標数値」の策定を提案する。
そのうえで、勧告された特別支援教育を廃止することについて、一木さんは「通常学級で障害のある生徒を受け入れるためには複数の教員配置が必要になります。いわゆる『教職員定数法』を改正するとともに、特別支援学級や特別支援学校の教員を通常学級に配置するなどの工夫が必要です」と話している。
*1 全体の文章を短くするため、筆者が概要としてまとめた
*2 出典:一木玲子、他[2021],「障害者権利条約一般的意見第4号(わかりやすい版)インクルーシブ教育を受ける権利」『季刊福祉労働』,現代書館,(171巻),pp.34-43
Committee on the Rights of Persons with Disabilities. Article 24
The right to inclusive education (Plain version). General Comment No.4.2016
*3 主催:日本障害フォーラム(JDF)、共催:立命館大学生存学研究所 9月20日オンライン開催
*4 筆者訳
参考:認定NPO法人DPI日本会議ホームページ
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