「完全自殺マニュアル」書いた男が掴み取った天職 ライター鶴見済が58年の人生でたどり着いた境地

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1990年、26歳でフリーランスのライターになった。

ティーン女性向けの雑誌に社会物の記事を書いたり、データ集め、街頭アンケートなどさまざまなな仕事をしたりした。

「サラリーマン時代の蓄えもあったので、なんとか食うくらいはできました。

でもすごい悲惨でした。編集者にはないがしろにされて、こき使われてましたね。そもそも対人関係も苦手ですら、取材も大変でした。

ただ、それでも会社員に戻りたいとだけは一度も思わなかったですね」

前から作りたいと思っていたアイデアを出版社に提出した。

それが『完全自殺マニュアル』だった。

『完全自殺マニュアル』

最初持ち込んだ出版社には断られたが、2社目の太田出版でゴーサインが出た。

「他の仕事をしながら1年かけて作りました。専門家にお会いして話をきいたり、現地に行って取材をしたり。企画書通りに進めることができました」

そして、発売された。

「最初は全然話題になってなかったんですよ。地道に部数を伸ばしていき、徐々に話題になりました」

署名記事の依頼が舞い込むように

だんだん取材の依頼が来るようになった。

さまざまな場所で書評を書いてもらえた。

「最近よく『当時は大バッシング受けて大変だったでしょう?』とか言われるんですけど、全然そんなことはなかったんです。

インタビューは全部、好意的なものでした。有害指定されたと話題になりましたが、それも大体、発売から6年も経った1999年です。

だからベストセラーになったことで嫌な思いをしたわけではなかったですね」

それまでは無署名の記事を書くことも多かったが、すべて署名記事になった。

次から次に仕事が来て、ほとんど断らなかった。無我夢中で仕事をした。

「仕事の過程で話が合う人とたくさん会えるようになったんです。肯定してもらえる人たちです。そういう仲間ができて。気がついたら、対人恐怖症が治ってました。

そして女性とも付き合うようになりました。それまでそんなに女性と付き合おうとも思ってなかったんですよね」

段々、自分で活動したくなってきた。

9年前にはじめた“くにたち0円ショップ”ではSNSで呼びかけ、不要品を持ち寄って街頭にならべ、道行く人にもらってもらうアクションだ。

「“くにたち0円ショップ”は長くやっているのですが、みんなの目的はおしゃべりなんですよね。一緒に活動するのが楽しくて来てる人がたくさんいるんです。サードプレイスを求めてる。つながり作りですね」

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