森脇健児が大ブレークからの挫折経て掴んだ天職 「余計なことをせず、素直に、謙虚に、コツコツと」

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森脇健児さんが“走る男”と呼ばれるようになるまでの道のりを追いました(写真:筆者撮影)
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これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第105回。

“走る男”は枚方で生まれた

森脇健児さん(55)は松竹芸能に所属する芸人だ。1990年代には『笑っていいとも!』『夢がMORI MORI』など国民的人気番組に多数出演するタレントとして活躍した。

現在は京都に住み、『あんぎゃでござる!!』『森脇健児のサタデースタジアム』など関西を拠点に活躍している。

森脇さんは2003年の『オールスター感謝祭』(TBS)の赤坂5丁目ミニマラソンでの活躍以降は、“走る男”として注目されている。

2008年には『走る男~日本縦断2500kmの旅~』という森脇さんが北海道・洞爺湖から沖縄県・首里城まで2500kmを走る番組も放映された。森脇さんのYouTubeチャンネル『やる気!元気!森脇チャンネル』では、フルマラソン、100メートル走、駅伝、クロスカントリー、と「走る」をテーマにさまざまな動画を配信している。

森脇さんはどのような人生を経て現在の場所にたどり着いたのか? そして、なぜ走り続けるのか?

大阪で話を聞いた。

森脇さんは、大阪の枚方市で生まれた。

「僕は3兄弟の次男坊で、やっぱ兄貴を追いかけていたところありますね。2つ上で足早かったんですよ」

森脇さんは小学生の頃からスポーツが好きだったが、しかし足の速さはクラスで1番ではなかった。クラスで5番目くらいだった。

「中学1年のときは枚方の小さい大会の100メートルの予選で勝てないんですよ。でも兄貴に教わったりしながらがんばって、枚方で1番、北河内で3番、大阪で9番と段々順位を上げていきました」

陸上の名門、京都の洛南高校に進学した。授業はサボることもあったが、陸上の練習だけは絶対に休まなかった。

インターハイに出場するというのが、絶対の目標だったが、それにはとある理由があった。

「小学校のときからお笑い芸人がパーソナリティーをつとめるラジオをよく聞いてました。上岡龍太郎さん、オール阪神・巨人さん、西川のりおさん。まだ新人だった島田紳助さん、明石家さんまさん。彼らは僕のヒーローで、憧れていました。いつしか

『僕もスピーカーの向こうに行く!!』

と決めてました。ぼんやりとした夢じゃなくて、『芸人になる』って決めていました」

次ページインターハイ出場にこだわった理由
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