森脇健児が大ブレークからの挫折経て掴んだ天職 「余計なことをせず、素直に、謙虚に、コツコツと」

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当時は、大阪でいったん売れた後に、東京に進出するというのが一般的だった。つまり、二度売れなければならない。

当時はダウンタウンが『4時ですよーだ』(毎日放送)という番組で大変な人気者になっていた。

その『4時ですよーだ』の裏番組に、森脇さんと山田雅人さんの2人がメインで『ざまぁKANKAN!』(読売テレビ)という番組を始めることになった。

「21歳のときでしたけど、

『これを当てるしかない!!』

と覚悟を決めました。勝負ですよね。

この番組がダメだったら、もうあかんなって思ってました」

番組は当たり、2年間続いた。森脇さんは大阪では押しも押されもせぬ人気者になった。

そしてその勢いのまま、東京に進出することになった。

「東京に行ったら、すぐに深夜番組が決まり、トレンディードラマの出演が決まり、とババババ!! っていろんな仕事が決まりました。

それからはずっと忙しくてジェットコースターに乗っているような気持ちでした。まだまだ好景気な時代で、お金も入ってきました。

でも使い方がわからないんですよね。使う時間もないし。とりあえずマンション買って、ベンツも2台買いました」

そんなある日、吉田栄作さんとコマーシャルに出演することになった。

「裸になるロケだったんですけど、吉田栄作さん、バキバキの体してたんです。日本でいちばん忙しいトレンディー俳優なのに。その頃の僕はちょっとゆるゆるの体で。これはいかんなと思って、体を鍛え直すことにしました」

家の近くにあったボクシングジムに足を運んでみた。ドアを開けると、ノックアウトされたボクサーが倒れていた。

「こんなん無理や……」

その日は帰ったが、翌日気を取り直してジムに足を運び入会した。

(写真:筆者撮影)

それからは飲みやゴルフの誘いは全部断って、毎日トレーニングを続けた。

ぐっと絞れて、半年後コマーシャル撮影では誰に見せても恥ずかしくない体になっていた。

30歳超で一気に仕事がなくなった

「でも、ちょっと遅かったですね。30歳になったら一気に仕事がなくなりました。別になんの事件も事故もスキャンダルも起こしてないんですけどね。まあ飽きられたんだと思います。一発屋のようなものでしたけど、それでも7年は活躍することができました」

最も忙しかった時代は朝、目が覚めると

「次、いつ寝れるんや」

と不安になった。しかし、数年後には、

「次、いつ仕事あんねん」

と悩むようになった。

その頃には、森脇さんは結婚していて子どももいた。

マンションを売り、自動車を売り、関西に帰ってきた。

次ページ挫折感はあったが、やり直せるという予感もあった
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