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森脇健児が大ブレークからの挫折経て掴んだ天職 「余計なことをせず、素直に、謙虚に、コツコツと」

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  • 村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
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2003年。森脇さんが36歳のときに、現在も続くTBSの名物番組『オールスター感謝祭』に出演することになった。

森脇さんはドラマ『渡る世間は鬼ばかり』にゲスト出演していた。

「僕はドラマの中では脇役も脇役でしたから本来は出演するはずじゃありませんでした。でも出演予定の人が出られなくなっちゃったんです。泉ピン子さんとはドラマの撮影のときには良くお話をさせていただいてました。

『あの番組5時間もあるから森脇健児を呼んで』

って退屈しないように、僕を推薦してくれて出ることになりました」

『オールスター感謝祭』は今をときめく200人の芸能人が集まる大型番組だ。

「久しぶりに華やかな舞台に帰ってきた」

と思った。

そして名物企画である『赤坂5丁目ミニマラソン』に出場した。

「僕はヒマでヒマで、毎日練習してましたからね。そんな人、ほかにいないでしょうから、ぶっちぎりでした。でも当時、僕は完全に“過去の人”でしたから、走っていても

『森脇がんばれ!!』

って声はいっさい聞こえませんでした。

ぶっちぎりでいちばんでゴールしても、

『過去の人が勝ってどうすんねん』

というような空気になりました。

でも、紳助さんと和歌子ちゃんは昔なじみだから喜んでくれて、うれしかったですね」

森脇さんは、直感で、

「僕が芸能界で復活するのはこの番組しかない」

と思った。

『赤坂5丁目ミニマラソン』に焦点を合わせた生活を送ることにした。

マラソンブームに乗って“走る”仕事が舞い込むように

ボクシングジムを辞めて、陸上の練習を始めることにした。

『オールスター感謝祭』の難所と言われる「心臓破りの坂」によく似た条件の場所に家を買った。365日、毎日『赤坂5丁目ミニマラソン』で勝つための練習をした。

「とにかく10年出続けたいと思いました。ただ毎年『オールスター感謝祭』に呼んでもらえるかどうかはわかりません。当時の僕はTBSに感謝されるような仕事はしてなかったですから。マネジャーに

『頼むからこの仕事だけは入れてほしい』

って頼みました」

走り続けていると、徐々に“走る”仕事が舞い込んでくるようになった。

(写真:筆者撮影)

そんな折、2007年には東京マラソンからにわかにマラソンブームがおこった。

「マラソン大会の司会とか任されました。『マラソンあるある』とか話すとドカンドカン受けます。実際にマラソンをやってる人にしか話せないネタですからね」

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【仕事の幅を広げ、YouTubeにも挑戦】

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