その頃は、挫折感はなかったのだろうか?
「もちろん家族もいますし困りましたよ。でも心のどこかでホッとしてる部分もありました。ブレーキのない自動車に乗って走ってるような、みんなに神輿に乗せられてワッショイワッショイ!! ってやられてるような感覚があったので。
それに、またゼロからやっても、きっとやり直せるという予感もありました」
ローカルのテレビ、ラジオの仕事が1本ずつあったが、それ以外の仕事はなかった。
久しぶりに、はやと師匠について回った。さすがに暗い顔をしていた森脇さんにはやと師匠は声をかけた。
「借金あんのか? ないやろ。資本金いるのか? いらんやろ。だったらなんもビビることあらへんで。芸人なんてそんなもんやで」
忙しかった東京時代には、ネタを作っていなかったし、情報も入れていなかった。
関西に戻った後は、映画を見たり、芝居に行ったり、野球やサッカーを観戦したり、興味のあることはなんでもした。
そして関西でもボクシングジムに通い続け、体を鍛えた。
「そんな生活をしてると、いろんな筋から『副業やらないか?』って誘われるんですよ。『月20万円で焼肉屋さんやらないか?』とか。こっちは仕事がないから、喉から手が出るほどやりたかったですよ。でも
『ここで副業やったら、芸能界の神さんが見放す』と思って、ひたすらボクシングジムに通って走ってました」
不思議と仕事が舞い込み、お客さんが笑うように
ストイックな日々を過ごしていると、不思議と仕事が舞い込んできた。
結婚式の司会だったり、会社のゴルフコンペの司会だったり、まったく縁のない村の祭りの司会にも行った。
「楽しかったですね。1本1本の仕事をすごいワクワクしてやりました。
芸人の後輩にもよく言うんですけど、
『いらんことはせんでいい』
って。つい目先の利益が欲しくなるのはわかるけど、でも自分にしかできないことを愚直に愚直にやり続けるのがいちばんだと思います。
芸能界に残ってる人はみんなそうだし、それはほかの職業にも通じると思うんですけど、やっぱり仕事が好きで、好きすぎないとダメですね。ギャラが安いとか、小さい仕事とか関係なく、1つひとつの仕事を全力でできる人が成功するチャンスをつかむと思います。
そうやって仕事をしていたら、お客さんがドンドン笑うようになってきたんですね。東京で活躍していたときの営業ではこんなにお客さん笑ってなかったなって。ええことやな、って思いました」
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