「完全自殺マニュアル」書いた男が掴み取った天職 ライター鶴見済が58年の人生でたどり着いた境地

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鶴見さんの両親は共働きだった。夏休みは、鶴見さんと兄2人で過ごさなければならなかった。

「小学校低学年の頃からずっと嫌がらせ、暴力を受けてました。

ただ、近所にもそういう家庭があって、自分が特別にひどい目にあっているとはよくわかっていなかった」

中学校になると、兄の攻撃は弟だけではなく両親にも及んだ。

「兄に、俺と両親の3人が1部屋に監禁されたことがありました。こういうことはもっと詳しく今回の本にも書いていますが、結果的に流血沙汰になってしまいました」

兄ほどではないが、鶴見さんも父親と仲が良いわけではなかった。家庭内では楽しい思い出はほとんどなかった。

社交不安障害、対人恐怖症に

高校に進学すると、家族で食卓を囲むこともめっきり減った。それぞれが食事をトレーに載せて部屋に持っていき食べた。

「高校生活も決して楽しくはなかったですね」

鶴見さんが高校の時代には、「ビートたけしのオールナイトニッポン」や「タモリのオールナイトニッポン」が流行っていた。

「翌日はみんなビートたけし気取りなんですよ。人を観察して、それをからかうようなことをするわけです。つねに誰かを笑いものにして、誰かに笑いものにされる。だから教室の空気はすごく悪かった」

とにかく教室内の視線が過密だった。

つねに変なふうに見られているんじゃないかと気になった。

「社交不安障害、対人恐怖症になりました。学生時代って、本当に学校と家庭しか居場所がないじゃないですか。逃げ場所がないんですね。大人だと、娯楽や旅行なんかで発散とかできるじゃないですか。学生にはそれがない。家に帰ってもずっと考えてました。

絶望的でしたね。精神病院に行きたいと思ってました」

学校を辞めたいなんてもちろん言えない。部活を辞めるというのも難しい。

「『部活なんて自由参加なんだから、辞めたらいいじゃん』って簡単に言われることがあります。でも自分が辞めた後、部室では部活の人たちが俺について話すわけです。それを想像したら辞めるのも嫌ですね。

部活を自然に辞めるためになんとか骨折できないかと思ってました。大怪我をして辞めたらみんな文句言わないですからね。

その時代の救いはロックミュージックでした。ロックを聞いてなんとか精神を保っていたという感じです」

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